北陸 行く道中のお話。
名古屋からそのまま北陸を目指すのではなく、あえて桑名に出て養老鉄道に乗ることにしました。というのも
以前こちらの記事 で紹介しましたが、東急池上線・多摩川線で活躍していた7700系が譲渡されてから初めてこちらの方に来たので、訪問してみることにしました。ちなみに上の画像の7714号は、先ほどの記事にある
鵜の木駅で撮影した車両 と全く同じです。”歌舞伎塗装”まで同じままとなっていますが、ちゃんと貫通扉の剥がれたところは直したようですね。
ということで今回は、三重県桑名市にある養老鉄道多度駅前のモニュメントを紹介します。まずはよく地方の観光地で見かける「歓迎」モニュメントです。「ようこそ多度へ」の下の部分が読めない・・・手前の看板が邪魔しちゃっていますね。それによれば、多度のあたりは壬申の乱の際に大海人皇子が休息をとったり、奈良時代や平安時代の遺跡が見つかるなど、昔から人が住んだり行きかったりする場所だったことが判明しているようです。写真には遺跡と、この地で出土した土馬が掲載されています。
ちなみに裏側は「お気をつけてお帰りください」と書かれています(が、頭の”お”の字の点が取れちゃっていますね・・・)。時計はくっついているのかなとも思ったのですが、実は全く別のものであり、そちらは旧多度町の商工会青年部が設置したものとのことです。
次は駅前というと少し離れているのですが、先ほどのモニュメントのある広場を左に出てすぐの突き当りにある、こちらのお堂。卍があるので仏教ということはわかりますが、地蔵尊でしょうか?中の方を見ても地蔵尊かどうかは断定できませんが、場所を考えるとおそらく地蔵尊でしょう。植物もお供えされており、住民の方に大切にされているのがわかりますね。
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2023/11/29(水) 15:00:00 |
駅前モニュメント
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今回は神奈川県秦野市にある、小田急小田原線渋沢駅前のモニュメントを紹介します。この駅と隣の新松田駅との間は6.2kmもあり、小田急線の中で最も長い駅間となっております。
この駅は南北にロータリーがあります。まずは南口のロータローの内部にあるものですが、ここには「こぶし庭園」という庭園が整備されています。「こぶし」とは演歌のアレではなく、ここに生えている木のことです。こぶしは日本全国に生えているものですが、秦野市では”市の木”に選ばれています。ここのこぶしも市制50周年を記念して植樹されたものとのことです。
次は庭園の中のこちらの石像。丸めのフクロウの石像ですが、タイトルは「幸福を運ぶ風」ということで、フクロウにはあまり触れていません。作者は彫刻家の西巻一彦氏ですが、この方は
JR紀勢本線・近鉄名古屋線津駅 にあった彫刻の作者でもあります。そちらの作品の一つにもフクロウの顔のようなものがありましたが、フクロウを入れるのが西巻氏の作風なのでしょうか?
次はロータリーの向かい側にあるこちらの石碑。「ひぐらしの 一つのみ鳴く こゑを背に 夕あかね照る 道くだり行く」という、明治~昭和の歌人・谷鼎の短歌と、説明が書かれたものです。説明は谷鼎の生い立ちについてのものがほとんどですが、西秦野村千村(現・秦野市千村。駅の西南西あたり)に生まれたこと、窪田空穂の短歌詩「国民文学」にて頭角を現したこと、藤原定家の短歌の解釈について斎藤茂吉と論争を交わしたこと、大東文化大学教授に就任したこと、短歌誌「近代詩歌」を創刊したことなどが書かれていました。
ちなみに石碑の隣には「渋沢駅敷設の由来」という看板がありました。駅の設置に当たって周辺の住人の方々は無償で土地を提供したとのこと。現在の開発状況とか見ると、無償であっても駅を設置することによる効果を予測していたのでしょうか。
次からは北口のモニュメントを紹介します。まずはペデストリアンデッキを降りたところから生えている?ような金のモニュメント。詳細の説明などはなさそうだったのですが、GoogleMapを見たら「パンフルート」と書かれていました。パンフルート自体は普通の楽器なのですが、ここにある理由は何なのでしょうか?
次はエリンギみたいなものが2本生えているような石像です。作者は秦野市在住の彫刻家・横山徹氏で、タイトルは「風景の器」とのこと。この作品はハミングデイルしぶさわ彫刻展の出展作品として、1994年(平成6年)に制作されたようです。
秦野市のホームページ でも紹介されており、されによればこの作品は「丹沢の風景を映し出す器」であり、「空中を浮かぶ水溜まり」をイメージしているようです。
次もハミングデイルしぶさわ彫刻展の出展作品として、1994年(平成6年)に制作されたもので、タイトルは「MY FAMILY」です。左がお父さん、右がお母さん、真ん中が子供でしょうか?こちらも
紹介ページ がありますが、作者のコメントとして「この世界に暮らす人間は、みな家族だと思います。人間には暖かい愛情に満ちたつながりが不可欠です。」とありました。さて、その作者の方なのですが・・・中岡慎太郎?え、
幕末の志士 ?陸援隊?・・・ではなく、岐阜県出身の彫刻家の方で、
JR飯山線・北越急行線十日町駅 にも作品がありましたね(私はその時もおなじボケをかまそうとしていますが・・・)。
2023/11/26(日) 03:00:00 |
駅前モニュメント
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今回は近場です。今年も相鉄の株主優待券を使ってきたのですが、新横浜線開業後初の乗車となりました。西谷駅で列車を何本か見ましたが、もうどこの会社なのかわからない(笑)。JR埼京線と表示しているものもくれば、東急の車両が相鉄本線の横浜行きになっていたり、東急車が並んだり・・・数年前では考えられない光景が広がっていました(そもそも以前は各停しか止まらなかった駅なんですがね)。
ということで今回は西谷駅ではありませんが、相鉄本線の瀬谷駅前のモニュメントを紹介します。横浜市瀬谷区にはこの駅と三ツ境駅の2つがありますが、区役所の最寄は三ツ境駅であり、利用者もそちらが多いです。まず紹介するのは北口にある時計塔。以前似たようなものを見かけたような・・・
JR徳島線阿波加茂駅 と
JR鹿児島本線・九州新幹線新八代駅 にありましたね。ライオンズクラブ、ロータリークラブどちらも同じようなものを設置していますが、今回のものはライオンズクラブの紋章があります。裏には横浜瀬谷ライオンズクラブ十周年記念として、1983年(昭和58年)5月27日に設置されたことが刻まれていますが、時計の部分には「結成50周年記念事業」とあります。40年前に設置されているのですが、何の50周年記念なのでしょう?ライオンズクラブの結成は1917年ですし、日本初のライオンズクラブは1952年ですし・・・
次に紹介するのは郵便ポスト・・・なのですが、ただのポストではありません。全身金色のポストです。このポストは
ゴールドポストプロジェクト という、”2020年東京オリンピック・パラリンピックの金メダリストの功績をたたえるために、メダリストのゆかりの地に金色のポストを設置する”という企画により設けられたものです。ちなみにこれは第50号であり、ソフトボールの峰幸代選手を称えるものとのこと。峰選手は小学生の時に瀬谷区に住んでおり、その頃にソフトボールを始めたのだそうです。ちなみにゴールドポストプロジェクトのホームぺージに他の設置場所も掲載されていますが、駅前が多いですね。つまり・・・
2023/11/22(水) 15:00:00 |
駅前モニュメント
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松任 に行った日ではなく、
羽咋 に行った日ですが、帰りに大宮で乗り換えだったので、晩メシを食べることに。西口のあたりをウロウロ・・・
うどん屋さんを見つけたのだが・・・ハンバーグ?コロッケそばは富士そばでも見かけますが、うどんとハンバーグの組み合わせって、初めて聞きますね。ということで、「武州うどんあかねandみどりダイニング」というお店に入店することに。ハンバーグセットを注文します。1000円オーバーなので結構値段が張るように感じますが、実は飲み物付き。生ビール1杯飲めちゃいます。
出てきたものはこちら。う~ん、右上の麦ジュースが目立ってますねえ。8月ということもあり、うどんは冷しとなっていますが、量は少なめ。どちらかというとご飯の方が主食としてはメインかもしれません。他にはちびきゅうの漬物が小鉢であります。さてメインディッシュのハンバーグですが、ソースは種類を選べます(後ろのメニューに写っています)ので、私はねぎ塩にしました。ボリュームは結構ありますので、食べ応えがありました。
正直ハンバーグ定食にうどんが付いているというだけなのですが、ボリューム感はかなりありますので、食後は満腹になりました。他にもメインディッシュが多めのセットがあるようですが、どれくらいのボリューム感なのかはちょっと気になりますね。
2023/11/19(日) 03:00:00 |
食いもん
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893回目・・・やくざ?・・・はくさ・・・
ということで今回は、石川県白山(はくさん)市のJR北陸本線松任(まっとう)駅前のモニュメントを紹介します。この駅は現在特急停車駅となっていますが、新幹線開業後は第三セクターに移管するため、特急が来なくなる予定です。そんな松任駅前にはモニュメントが非常にたくさんあるので、2回でも紹介しきれません。3回にわたって紹介しようと思います。まずは駅南口を出てすぐのところにこちらのモニュメント。タイトル(愛称)は「まっとんまっし」であり、地元の方が付けたようで、「待っていて」という意味のようです。ちなみに制作者は堀庸師氏であり、「Gate of Steams」という正式名称があるようです。
次は上のモニュメントの近くにある「むかし」というモニュメント。ビート板みたいな石の板の上にちょこんとポケモンのディグダみたいなものが乗っています(ディグダなら頭を出していることになるか・・・)。製作者は彫刻家の北川太郎氏であり、
北川氏のホームページ によると、2003年(平成15年)の第1回キリンアートコンクールに出展しているようなので、その時の作品ではないかと考えられます。
次はロータリーの横断歩道を挟んだ向かいにある時計塔。足元に石碑があるので紹介することにしましたが、どうやら松任ロータリークラブ創立20周年記念のもののようです。”1986年9月28日”と書かれていますので、周りのモニュメントよりも古いようですね。
次は浅草のアサヒビール本社の上にあるアレみたいな銅像。タイトルは「松任の雲」であり、制作者は彫刻家で金沢美術工芸大学教授の土井宏二氏とのことです。1997年(平成9年)の「キリンビアパーク北陸「庭園彫刻コンクール’97」」で大賞を受賞しているそうですが、この作品がそれでしょうか。
次が上のものの隣にある、「太陽と雲と雨」というタイトルのモニュメントです。なんとなく雨っぽさはわかります。雲っぽさは模様でしょうか?でも銅像の模様って永く残るものなんですかね?ちなみに作者は彫刻家の干田浩氏であり、
こちらのページ によれば1999年(平成11年)の「キリンビアパーク北陸 第6回庭園彫刻コンクール’99 ビアパーク大賞受賞」とありますので、その出展作品でしょうかね。
次はロータリーの入り口にある、トゲトゲの石像。タイトルは「HOPE」で、作者は高岡を中心に活動をされている本野雅宏氏とのこと。
次は駅前にある「千代女の里俳句館」の前にある銅像から。加賀の千代(千代女)は松任の表具師・福増屋六兵衛の娘として、1703年(元禄16年)に生まれました。その後は俳句の道に一意精進し、晩年には尼になり、蕉風の俳句を詠んでいたようです。この施設もその千代女の功績を後世に伝えるために設置された博物館なのですが、1人の人物で博物館が1つできるということは、なかなかのことではないかと思います。
同じく博物館の前には挿絵画家の西のぼる氏による朝鮮通信使の挿絵が設置されています。どうやら千代女の俳句を書いた掛け軸や扇子や朝鮮通信使に渡したことにより、俳句が日本国外で知られるきっかけになったので、その縁で朝鮮通信使の行列の絵が設置されているのだそうです。
ちなみに駅前にはいくつか千代女の俳句の句碑が設置されています。こちらはロータリー横の藤棚のところにある、「あそびたき あのきに成りて 藤の花」という句碑。藤の花とあるので、藤棚を設置したのでしょうか?
次は線路わきの公園に設置されている、「ひとすじに 百合はうつむく ばかりなり」の句碑です。
そしてこちらも同じ公園にあるものですが、隣の
加賀笠間駅前 にもありました俳句ポストに、「百なりや つるひと筋の 心より」という俳句が書かれています。
・・・まだまだ松任のネタは続きますよ。
2023/11/08(水) 15:00:00 |
駅前モニュメント
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5月に仙台へ行っていた日の帰りの話。東京に帰ってきた時間が遅かったので、渋谷で遅い晩メシを食おうかと思ったのですが、0時に近くなると閉まるお店も多くなっていました(コロナ5類移行前だからかな?)そんな中入ったのは・・・
京王井の頭線の駅の近くで黄色い看板が目立っているこのお店。昔から渋谷にある中華料理屋「兆楽」の道玄坂店です。「兆楽」といえば、個人的にはセンター街にあるお店の方が有名かなと思うのですが、お店の外観を撮影すると、あそこのビルは・・・ね・・・。ということでこちらに入店したのですが、ほぼラストオーダーの時間(笑)。ギリギリながらも名物っぽいルース丼を注文。いや、本当はルースチャーハンの方が有名かな。
出てきたのはわかりやすくご飯の上に青椒肉絲が乗ったもの。卵スープ付きで820円です。青椒肉絲自体はいつも家で作っているのですが、細切りされたタケノコの水煮に、適当な薄切り肉、市販のタレを使って作っています。ここのものはタケノコも肉も大きく、かなり食べ応えがあります。タレも濃いめの味付けとなっており、自分で作る青椒肉絲よりもクオリティが全然違うことに気づかされましたね。
ちなみにルースラーメンなるものもあるようなので、いつかルース系を完全制覇してみたいですね。
2023/11/05(日) 03:00:00 |
食いもん
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今回でモニュメント記事は891回目。ということで、今回は石川県羽咋(はくい)市のJR七尾線羽咋駅前のモニュメントを紹介します。
まずは駅前ロータリー南側の島の賑やかなこちらのモニュメント群から。
UFOみたいなモニュメントがありますが・・・UFOです。ここ羽咋の歴史を記した古文書には、「そうはちぼん」という仏具が空を飛んでいるという話が書かれており、「もしやUFOではないか」と考えられたことから、UFOで町おこしをすることになったようです。またこの辺りでは、そうはちぼん伝説以外にも「ナベが空から降ってきてに人をさらう」という神隠し伝説や、「神力自在に飛ぶ物体」が登場する『気多古縁起』という古い巻物があったりするとのこと。1990年(平成2年)には「宇宙とUFO国際シンポジウム」を開催し、その6年後には「コスモアイル羽咋(宇宙科学博物館)」がオープンしており、UFOだけでなく宇宙に関するあらゆるもので町おこしをしているようです。
次はこちらの石の彫刻。昔FC東京にいたディフェンダーを讃える・・・ものではありません。
羽咋市のホームページ でも紹介されていますが、市内には彫刻家・馬渕洋氏により制作された、5つの擬音のモニュメントが設置されています。一番有名なものはこの「ジャーン!」というモニュメントで、UFOのモニュメントの下にある説明書きにもあります通り、記念撮影をする人が多いようです。ちなみにモニュメントの前にタイトルが用意されていたのですが、正式名称は「・・・・・・・」とのこと。真逆やん(笑)
そして同じ島の縁には、「ズズズズズズズ」という文字が左に行くにつれて地中から出てくるようなモニュメントがあります。こちらは正式名称が「!」とのこと。正直さっきのやつと逆なんじゃないかと思ってしまうのですが、私だけでしょうか?
ちなみにこちらは同じ島にある「照明燈」なのですが・・・・・どう見ても時計塔。というか照明ある?
同じ島の最後のものになりますが、ここには「交通安全塔」と書かれた小さな石碑もありました。ここのモニュメントの中で一番小さいのですが、塔なのでしょうか?ちなみに設置は1964年(昭和39)年と、この中では断トツで古いようで、羽咋ライオンズクラブのチャーターナイト記念として設置されたようです。
次は先ほどのの島の斜め向かいのところに路地の入口のようなところがあるのですが、そこに「八幡神社」と書かれた石標があります。横には「昭和三十七年七月建立」と彫られているので、先ほどの交通安全塔よりも古いことがわかります。ちなみにこの路地の先へ進むと神社があるのですが・・・川があり行くことができません。昔は橋があったのでしょうか?現在は他の橋を迂回しないといけないのですが、真正面に鳥居があると昔は橋があって真っ直ぐ行けたのではないかなと考えられます。
ここの駅前には他にもモニュメントがあるのですが、とりあえずここで一区切り。次回紹介しようと思います。
2023/10/29(日) 03:00:00 |
駅前モニュメント
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