思いつくままに、すらすらと。

思いつくままに、すらすらと何かを書いていきます。ノーコンセプト、かな?

駅前モニュメント593 京成市川真間駅 鏡石&本多貞次郎君之碑 他

 今回は千葉県市川市にある、京成本線市川真間駅前のモニュメントを紹介します。

京成市川真間駅 鏡石 京成市川真間駅 鏡石 説明

 この駅は橋上駅舎となっており、駅の南北に入り口があります。まずは南口の階段を下りたところにある、「鏡石」というものです。1枚目の画像の下部に、窪んだ所に水が入っている石が写っていると思いますが、それが「鏡石」です。説明によれば、この石はもともと、近くの弘法寺から下総国分寺に向う途中の平川に架かる橋の袂にあったもののようです。1836年(天保7年)発行の『江戸名所図会』にも鏡石が出てくるようなのですが、それは水中にあった「要石」だったとか書かれており、その隣に夫婦石があったので、これはその片割れではないかとも言われているようです。夫婦石については・・・文字に起こす気にはならねぇ(笑)。ちなみに「市川 鏡石」で検索すると、市川駅から東北本線鏡石駅までの乗換案内が1番目にヒットするという・・・

京成市川真間駅 骨董品屋跡地前の石標

 次は鏡石の斜め前くらいのところにあったものですが、店舗の跡地の前に石標が設置されていました。お店は既に閉店しているようですが、看板の跡から判読するに、どうやら骨董品店だった模様。しかしこれはそこの商品だったとは言えません。というのも、このあたりはお寺が非常に多く、あちこちに石標が設置されているので、これもその1つであり、もともとここにあったか、駅設置の際に工事区画内にあったものを移設したのではないかと個人的には推測しています。

京成市川真間駅 本多貞次郎君之碑

 次は駅の北口にある、「本多貞次郎君之碑」と題された顕彰碑です。市川市医師会館の敷地に設置されていたので、医療関連の人物の顕彰碑なのかなとも思っていたのですが、本文をよく読むとこの人物が京成電鉄の創業者であることがわかります。京成電鉄創業時は専務取締役でしたが、衆議院議員になった後に、1921年(大正10年)には京成の初代社長になった人物とのこと(あれ、じゃあ創業時は社長なしだったの?)。その後は市川市長になったりと、国府台女子学院の創立援助をしたりなど、方々で活躍したようです。石碑の設置は「大正十一年十月」と書かれているので、社長就任の翌年に設置されたものであることがわかりますね。ちなみにかつてこの駅の北側は京成の中枢部が設置されていた場所であり、最近までこの石碑の横には京成電鉄診療所が設置されていたようです(現在は駐車場になっています)。
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  1. 2018/06/19(火) 18:00:00|
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駅前モニュメント592 JR男鹿駅 なまはげ像

JR男鹿駅 なまはげの里男鹿へようこそ

 こちらによれば、JR男鹿線の終点である秋田県男鹿市の男鹿駅が少し移転し、整備しなおされるそうです。移設時期は2年後の7月のようですが、ぼちぼち工事が始まるのかなと思います。ということで今回は、現時点で男鹿駅前にあるモニュメントを紹介します。

JR男鹿駅 なまはげ像

 男鹿といえばなまはげ、なまはげといえば男鹿。ということで駅前には2体のなまはげの銅像が設置されています。設置されているのは丁度現在の駅舎のまん前なのですが、駅移設後はこの銅像も移設されるのか、気になるところです。

JR男鹿駅 なまはげの置物 JR男鹿駅 なまはげの置物 説明

 こちらは駅舎内部にあったものですが、よりリアルになまはげが再現された置物が設置されており、なまはげ伝説の説明書きが用意されています。なまはげは「泣く子はいねがー」「悪い子はいねがー」と叫んで家々に入り、怠惰や不和などの悪事を諌め、災いを祓う風習として知られていますが、もともとのなまはげ伝説は違う話のようです。要約すると「男鹿にやってきた漢の武帝の使いである鬼が、村里へ来て荒らしまわったところ、困った村人が「かけ」とものまねで鬼が来ないようにした」という話が起源のようです。今の風習がどのようにして成り立ったのかは、これだけではわかりにくいですね。

 2年後の整備後に、新たなモニュメントができるのでしょうか?再訪する必要がありそうなところですね。
  1. 2018/06/17(日) 15:00:00|
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駅前モニュメント591 名鉄西春駅 「明日へ」&「明日への虹」 他

名鉄西春駅 名称不明時計台

 今回は愛知県北名古屋市の名鉄犬山線西春駅前のモニュメントを紹介します。ここは以前は西春町という町でしたが、師勝町との合併により北名古屋市になりました。上の画像は東口ロータリーの中心にある時計台です。カラフルなパネルが貼り付けられており、頂上部は丸みを帯びています。なんとなくバドミントンのハネみたいに見えますが、特にハネの工場があるということではなさそうです。

名鉄西春駅 明日へ 名鉄西春駅 明日へ 説明

 次も東口にあるものですが、「明日へ」というタイトルの、小さい男の子が2人戯れているような像が設置されています。これは銅像?それとも石像?この色は塗料?なんだか不思議な材質に見えます。設置は2011年(平成23年)11月であり、地元のごま・きな粉メーカーである株式会社真誠の創立50周年記念としてのモノのようです。作者は長谷部尚子という方のようですが、どのような方か情報はあまり出回っていないようです。

名鉄西春駅 明日への虹

 次からは西口にあるものを紹介していきます。北名古屋市は先ほどの「明日へ」も含め、市内に彫刻・モニュメントが多数設置されているらしく、北名古屋市のホームページでも紹介されています。西口にはいろいろありますが、ロータリー内部で目立っている上のモニュメントは名古屋芸術大学美術学部アートクリエイターコース(当時?)の青山稜平氏による「明日への虹」であると、ホームページで紹介されています・・・というか、現地に説明が無く、名称不明として紹介しようとしていたのですが、ホームページに思いっきりかかれていました(笑)

名鉄西春駅 双一波

 次は彫刻家の湯村光氏による「双一波」という黒御影石のモニュメントです。テーマは「活力」と「うるおい」で、人と人との対話と、それによる躍動・成長が表現されているとか。ちなみにこれを製造する際には、1つの石を割ってそれぞれを加工し、元の割れた位置で再度くっつけ直すという面白い手法がとられているようです。

名鉄西春駅 記憶の声

 次は愛知県立芸術大学アートプロジェクトチーム(土屋公雄研究室)による「記憶の声」という作品。ガラスブロックが積まれているのですが、中に何かあります。説明によればこれは市民の方々の「思い出の品」なのだとか。タイムカプセルみたいなものをイメージしているようですね。ちなみに私は所見では公衆電話ボックスだと思っていました・・・

名鉄西春駅 オウシ・ゾウケイ空間のメビウス‘09

 次は「オウシ・ゾウケイ空間のメビウス‘09」というドーナツ状のモニュメントです。作者は彫刻家の牛尾啓三氏です。牛尾啓三・・・だから「オウシ・ゾウケイ」なんですね・・・。石が数個に割れているように見えるのですが、実際には2つに割れているだけであり、何個かに見えるようひねりを加えて割ったようです。

名鉄西春駅 謎のお稲荷様

 最後は駅前ロータリー横の建物の前に設置されている、祠のようなもの。そんなに古そうには見えませんが、昔あったものを建て替えたのでしょうか?中を見る限り、狐の置物が設置されているのでお稲荷様を祀っているものと思われます。詳しいことはわかりませんけどね・・・
  1. 2018/06/12(火) 18:00:00|
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駅前モニュメント590 富山地鉄大庄駅 忠魂碑

 今回は富山県富山市の、富山地鉄上滝線大庄駅前のモニュメントを紹介します。”大庄”と書いて”おおしょう”と読みます。どこぞの庄やの会社とは関係ありませんので・・・

富山地鉄大庄駅 忠魂碑 富山地鉄大庄駅 忠魂碑 英霊録

 駅前・・・と言いつつ若干離れている気もしますが、気にしません。駅舎を出て踏切を渡ったところに居酒屋があるのですが、そこの隣に「忠魂碑」と刻まれた大きな石碑が設置されています。見た感じでは居酒屋の屋根と同じくらいの高さですかね。石碑の土台には「英霊録」の銅板が設置されており、この大庄地区(大庄村)から出兵し、”日露戦争”、”上海事変”、”支那事変”、”大東亜戦争”で亡くなった方々の名前が刻まれています。設置は”昭和三十年八月"と書かれていますが、実はその年の1月に町村合併があり、大山町発足により大庄村が消滅しています(その後2005年(平成17年)に大山町も富山市に吸収合併されています)。この辺りは墓地埋葬法制定前に設置されたのか、田んぼや街中にもお墓が設置されていることが非常に多いのですが、このような大規模な忠魂碑はそこまで多くは無いように思えます。

富山地鉄大庄駅 小鳥の柵 富山地鉄大庄駅 小鳥の柵 アップ

 これはモニュメントというよりもおまけ。駅前のステンレス柵のところに、ステンレスの小鳥のような細工が施されていました。見た感じスズメですかね?ちなみにこれはモニュメントというよりも、汎用的な工業製品に近く、実際にJR鹿児島本線東市来駅の前にも同じものが設置されていたのを確認しています。
  1. 2018/06/10(日) 15:00:00|
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駅前モニュメント589 黒部峡谷鉄道宇奈月駅 ED凸形ED11号機&独楽園のモニュメント群 他

 前回に続き、宇奈月から。今回は黒部峡谷鉄道宇奈月駅前のモニュメントを紹介します。富山地鉄の宇奈月温泉駅とは150mくらい離れており、東武日光駅JR日光駅と似たような位置関係になっています。

黒部峡谷鉄道宇奈月駅 ミニチュアトロッコ

 まずは駅舎の横にあるトロッコ列車のミニチュア模型です。黒部峡谷鉄道といえば鉄橋を渡っているシーンを思い浮かべる人も多いと思いますが、その後継を再現しています。機関車はED型ED21号機を再現しているようですね。ちなみにミニチュアがあるなら、新黒部駅前のように実物を・・・

黒部峡谷鉄道宇奈月駅 ED凸形ED11号機+ハ形ハフ10号 黒部峡谷鉄道宇奈月駅 ED凸形ED11号機+ハ形ハフ10号 説明

・・・あるんですけどね(笑)。駅の南東の丘に「トロッコ広場」という広場が整備されており、そこに記念撮影用の顔出しパネルと、ED凸形電気機関車のED11号機+ハ形客車ハフ10号が静態保存されています。この機関車は1934年(昭和9年)から2013年(平成25年)まで80年近く使用されてきた機関車であり、黒部ダム建設の一翼を担ってきました。なお、現在も同じ形の機関車が現役で使用されており、入換作業や貨物輸送で使用されているようです。

黒部峡谷鉄道宇奈月駅 「嵯峨連山一刀で断つ月の瀧」句碑

 次は駅前の黒部川電気記念館の脇に設置されている、「嵯峨連山一刀で断つ月の瀧」という句碑です。詠み人は松田郷人という人らしいのですが、どうやら富山県在住の俳人のようですね。松田氏は「黒部川」という俳句の雑誌を発行している人物であり、この句もその雑誌に掲載したものではないかと思います。でも嵯峨連山ってどこなんでしょう。京都の嵯峨野・・・だとしたら富山県は関係ないはず・・・

黒部峡谷鉄道宇奈月駅 陽光

 次も黒部川電気記念館の角(駅舎の向かいの位置)にある「陽光」という銅像です。男性が上半身裸で日光浴をしている・・・ものと思われるのですが、周りの円形のモノは何?日光というよりも、スポットライトを浴びているようにも見えます。ちなみに作者はかつて金沢学院大学の教授を勤めていらした、彫刻家の故・川岸要吉氏とのこと。

黒部峡谷鉄道宇奈月駅 黒部専用鉄道電気機関車EB5号型 黒部峡谷鉄道宇奈月駅 黒部専用鉄道電気機関車EB5号型 説明

 次は上の銅像の隣にある、アントのような機関車です。これは黒部峡谷鉄道の全身である日本電力の黒部専用鉄道で使用されていた、EB5号型機関車のようです。登場は1926年(大正15年)の宇奈月-猫又開業の時であり、1984年(昭和59年)まで使用されていたようです。当時は集電用のポールは手動操作だったみたいですね。製造はアメリカのジェフリー社ということで、見た目も日本ではあまり見られないようなデザインです。

黒部峡谷鉄道宇奈月駅 独楽荘石碑 黒部峡谷鉄道宇奈月駅 独楽荘石碑 裏 黒部峡谷鉄道宇奈月駅 独楽荘石碑 説明 黒部峡谷鉄道宇奈月駅 独楽園 説明

 次は記念館の東にある、「独楽荘」と書かれた大きな石碑です。説明によれば、これは当時の日本電力の初代社長だった山岡順太郎氏の電源開発における偉業を称えるために、山岡氏の別荘に山岡氏を尊敬する人たちが設置したものとのこと。その後この庭園に移設されたことで、庭園を「独楽園」と呼ぶようになったようです(あ、「失楽園」が頭に浮かんだ人、私だけじゃないでしょ)

黒部峡谷鉄道宇奈月駅 森のそよぎ

そんな独楽園には、鹿の銅像が一つ設置されています。タイトルは「森のそよぎ」であり、寄贈者は竹中製作所という会社のようです。この銅像、庭園側ではなく道路側を向いているのですが、なぜなんでしょう?宇奈月温泉駅の前にいたライオン像のタイトルが「森の王者」だったので、それと何か関係があるのでしょうか?

黒部峡谷鉄道宇奈月駅 山田胖翁之像 黒部峡谷鉄道宇奈月駅 山田胖翁之像 説明2

 最後は記念館と「独楽荘」の石碑の間に設置されている山岡・・・ではなく、山田胖という人物の胸像です。この人物は黒部鉄道の役員に就任して、発電所建設のための旅客貨物輸送のために、三日市駅(現・あいの風とやま鉄道黒部駅から宇奈月駅までの路線敷設や、黒薙温泉からの引湯管設置による温泉街形成の礎を築くなどの功績を上げた人物のようです。この人物がいなければ宇奈月温泉や黒部ダムどころか、今の富山地鉄本線の電鉄黒部以南も実現しなかった・・・と言ってみると、やはり凄い人物だったことがわかりますね。
  1. 2018/06/05(火) 18:00:00|
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駅前モニュメント588 富山地鉄宇奈月温泉駅 「夢」&「森の王者」 他

富山地鉄宇奈月温泉駅 駅前噴水 富山地鉄宇奈月温泉駅 駅前噴水 説明

 富山のネタに戻ります。今回は一気に終点!黒部市にある富山地鉄本線の宇奈月温泉駅前のモニュメントを紹介します。温泉街の玄関ということで、駅前の噴水も温泉を使用しているようです。

富山地鉄宇奈月温泉駅 夢 富山地鉄宇奈月温泉駅 夢 説明

 まずは駅前広場の噴水の横にある、「夢」というタイトルの、裸婦の頭に鳥が止まっているデザインの高岡銅器の像です。この像は長崎の「平和祈念像」やJR岐阜羽島駅の大野伴睦先生御夫妻之像の作者として知られている、彫刻家の北村西望氏によって制作されたもののようなのですが・・・なんと通販で販売されているではありませんか!以前にも同じように通販で売られている銅像がありましたが、こちらはこの通販サイトだけでなく、Amazonにも出品されています。ちなみに銅像設置の目的としては、宇奈月町には彫刻家の佐々木大樹・日出男親子が制作した平和の像という観音像があることから、「ブロンズ像」のある街づくりを推進していきたいとのこと。

富山地鉄宇奈月温泉駅 好日

 そんなわけでこの辺りには銅像があちこちに設置されています。広場の向かいのビルの前には、あまりサイズは大きくありませんが、猫をひざの上で抱えている女性の銅像が設置されています。タイトル板が外れていて下に置かれていたのですが、タイトルは「好日」であり、作者は彫刻家の富永直樹氏とのこと。富永氏も高岡銅器の像をたくさん制作しており、通販で売られているようです。

富山地鉄宇奈月温泉駅 森の王者

 次は駅舎の北側の階段の出口に設置されている、ライオンの銅像です。作者の記述はありませんでしたが、タイトルは「森の王者」とのこと・・・ん、ライオンって森に住んでたか?サバンナではなくて・・・?ちなみになぜライオンなのかについては、宇奈月グランドホテルのツイートによれば、商売繁盛の神様としてこのあたりのホテルなどではライオン像を置いているところが多いようです。

富山地鉄宇奈月温泉駅 永遠の愛

 最後はちょっと駅前から位置がズレますが、ホーム先端の足湯の向かいにあるホテル「フィール宇奈月」のところに設置してあった母親と少女の銅像を紹介します。作者は同じ富山県の射水市在住である彫刻家・熊谷喜美子氏であり、タイトルは「永遠の愛」とのこと。親子の愛は永遠・・・ということでしょうかね。ちなみに私は今回あまり散策の時間を設けていなかったので、駅近のここのお風呂を立ち寄り(大人1名500円)で利用させていただきました。あまり広い浴場ではありませんが、宿泊客の時間と重ならなかったため、人が多くは無くゆったりと体を伸ばして入浴することができました。
  1. 2018/06/03(日) 15:00:00|
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駅前モニュメント587 JR土佐山田駅 龍河洞「神の壷」レプリカ

 今回は高知県香美市の中心である、JR土讃線土佐山田駅前のモニュメントを紹介します。

JR土佐山田駅 龍河洞「神の壷」レプリカ JR土佐山田駅 龍河洞「神の壷」レプリカ タイトル JR土佐山田駅 龍河洞「神の壷」レプリカ 説明

 この駅は「龍河洞」という鍾乳洞のアクセス駅となっているため、駅前には鍾乳洞のモニュメントが設置されています。現地には弥生時代に使用していたと思われる壷があり、長年置かれていることで鍾乳洞と一体化していることから、「神の壷」と呼ばれているそうです。このモニュメントも、その「神の壷」を模して作られたレプリカのようなものになっており、実際に1枚目の画像の左奥には壷が埋め込まれています。ちなみにこのモニュメント自体は、1975年(昭和50年)に土佐山田駅開業50周年を記念して設置されたものであり、訪問時は2016年だったのでそこから40年経過していることになります。あまり劣化しているようには見えないので、大切に扱われているのでしょう。

JR土佐山田駅 香美市いんふぉめーしょん アンパンマン1 JR土佐山田駅 香美市いんふぉめーしょん アンパンマン2 JR土佐山田駅 香美市いんふぉめーしょん アンパンマン3

 これはおまけ。駅前にある観光案内所「香美市いんふぉめーしょん」の壁についていたアンパンマンを撮影しました。香美市はアンパンマンの作者であるやなせたかし先生のゆかりの地であることから、「やなせたかし記念館(アンパンマンミュージアム&詩とメルヘン絵本館)」があり、この駅がアクセス駅になっています。それゆえ、これだけにぎやかな観光案内所になっているのでしょうね。
  1. 2018/06/01(金) 09:00:00|
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駅前モニュメント586 京王東府中駅 府中市公共下水道事業完成記念モニュメント

 今回は東京に戻ります。紹介するのは府中市にある京王東府中駅前のモニュメントです。東府中駅は競馬場線が分岐する駅であり、競馬開催日は隣の府中競馬正門前駅で乗り降りする乗客の乗り換えに使用されます。

京王東府中駅 府中市公共下水道事業完成記念モニュメント

 東府中駅の北側では、国道20号線と都道229号線が通っており、駅前通りと交差しているため道路が複雑に交わっています。都道229号線はそのまま府中市役所のある西へ伸びる道以外に、このあたりで国道20号線に合流するために分岐している道があり、駅前通りと2本の都道229号線が交わる関係で三角地ができています。そしてそこに、複数のアーチが並んでいるようなモニュメントが設置されています。アーチの高さは西高東低となっており、なんだか洞穴のよう(いや、コロネパンかも・・・)

京王東府中駅 府中市公共下水道事業完成記念モニュメント 説明

 説明によれば、1985年(昭和60年)3月に府中市公共下水道事業の完成記念として設置されたモニュメントのようです。この事業は1964年(昭和39年)から21年、650億円の投資を行って総延長470kmの下水管渠の埋設、終末処理場を設置したとのこと。モニュメントのアーチは下水道構築物のイメージであり、七本の大注列で事業の大きさを、白色で事業完成後の清潔な環境を表現しているようです。

 都市部に住んでいると下水道というのが当たり前のように思えてしまいますが、私の祖父母の家の地方など未だに浄化槽による下水処理を実施しているところもあるので、下水道設備の整備というのは現代においても容易でないことがわかります(ちなみに府中市は普及率100%とのこと)。このモニュメントは下水道設備の重要さ・整備の難しさを、改めて教えてくれているような気がしますね。
  1. 2018/05/27(日) 15:00:00|
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駅前モニュメント585 JR高城駅 「乙女」

 またも九州の過去ネタから。今回は大分県大分市にあるJR日豊本線高城駅前のモニュメントを紹介します。”高城”と書いて”たかじょう”と読みます。”たかぎ”でも”たかしろ”でも無いのでそこのところご注意を。

JR高城駅 乙女

 ここの駅は島式ホーム1面2線の構造であり、駅舎・改札はホームの端っこに設置されています。駅舎と外は跨線橋で結ばれており、南北に出入口があります。駅ロータリーは北側に整備ざれているのですが、そこには「乙女」というタイトルの銅像が設置されています。少女が何か考えているようなポーズの像ですが、個人的には髪のポニーテールがえらい方向に向いているのが気になります。風が強いところを表現しているのでしょうか?

JR高城駅 乙女 作者

 作者は三浦紀代氏で、設置は1989年(平成元年)4月とのこと。三浦氏は大分市内にある芸術モデルの詳細やアート企画を行っている、有限会社アートモデルエージェンシーの代表取締役を務めている方のようです。やはり駅前の銅像などは、地元の芸術家の方に依頼することが多いのでしょうかね。
  1. 2018/05/25(金) 09:00:00|
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駅前モニュメント584 JR市来駅 七夕踊像&丹後局舟着場跡之碑

 約束通り、お地蔵様から離れます。今回は鹿児島県いちき串木野市にある、JR鹿児島本線市来駅前のモニュメントを紹介します。なお、この駅はいちき串木野市発足前の旧・市来町の玄関となっていた駅でした。

JR市来駅 七夕踊像 JR市来駅 七夕踊像 裏

 ここの駅前ロータリーの中には、国指定重要無形民俗文化財に指定されている「七夕踊」の像が設置されています。市来の「七夕踊」とは、月遅れの七夕である、8月7日あたりに開催される催しであり、造り物(ツクイモン)と呼ばれる4種類(鹿・虎・牛・鶴)の巨大な張り子の行列芸と、太鼓踊り(本踊り)から構成されるものです。ここのものはその中の”虎”のツクイモンと、その周りで”虎獲り”として芸を行っている人物が表現されています。ちなみに七夕踊については、公式ホームページもあるみたいなので、気になる方は見てみてください。

JR市来駅 丹後局舟着場跡之碑 JR市来駅 丹後局舟着場跡之碑 裏

 次は「丹後局舟着場跡之碑」と題された石碑です。丹後・・・ここは薩摩では?とツッコんではいけません。「丹後局」とは、源頼朝の乳母であった人物であり、その子供が島津家の祖である島津忠久であると言われています。裏の説明文によれば、かつてここから西方200mくらいのところに船着場があり、忠久が薩摩・大隅・日向の三国の守護職に就いた際に、母の丹後局が同行してその船着場に船が着いたのだそうです。したがって、この市来地区が島津家が九州を統治する第一歩を踏んだ場所ということになりますね。そう考えると、この市来地区が歴史上大きな転換点であったことが、じわりじわりと感じられますね。
  1. 2018/05/20(日) 15:00:00|
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