あんまりたくさんのネタを大放出するから、そろそろネタ切れしそうだなぁ・・・

着替える小便小僧・・・と聞くと、JR浜松町駅のホームにいる「小便小僧」を思い浮かべる人が多いかもしれません。まぁ東京都民とか神奈川都民とか、埼玉都民とか、千葉都民の皆さんは浜松町駅を利用する人も多いでしょうから別に変ではありませんけどね。しかし、着替える小便小僧は別のところにもいるんですよ。
JR奥羽本線・仙山線・左沢線の北山形駅東口ロータリーにいる小便小僧です。この子もよく着替えをします。私が訪れたのはちょうど1年前くらいだったのですが、その時は東日本大震災の復興支援が始まったばかりだったので、自衛隊員の格好をさせられていました。
このホームページによると、服飾の専門学校である「山形女子専門学校」の学生さん達によって、これらの衣装は作成されているんだとか。
ちなみに北山形駅は山形駅の一つ隣にある駅です。奥羽本線が「電化標準軌」、仙山線が「電化狭軌でとなりの羽前千歳まで奥羽本線と並走」、左沢線が「非電化狭軌で当駅分岐」という複雑な状況のため、駅構内は5面6線となっており、かなり広いです。
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- 2012/07/30(月) 21:57:52|
- 駅前モニュメント
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JR南武線の矢野口駅前にある時計台です。
「稲城なしのすけ」という東京都稲城市のゆるキャラのモニュメントがあります。このモニュメントは「国際ソロプチミスト稲城」という団体から寄贈されたものらしく、
同団体の公式ホームページでも紹介されていました。 稲城市は梨が名産であることから、「稲城なしのすけ」というゆるキャラを作ったようです。実際稲城市に限らず、多摩川沿いでは梨の栽培が結構盛んに行われています。稲城市よりも都心寄りで、住宅密集地区となっている川崎市高津区の二子新地駅、高津駅(ともに東急田園都市線)周辺でも、梨園を結構見かけます。
南武線は、かつては南武鉄道という私鉄の路線であったことも影響しているのか、小規模の駅がたくさんあります。この矢野口駅も比較的小規模な方ではありますが、このように駅前モニュメントがありました。ちなみにここから川崎方面はしばらくモニュメントの無い駅が続きます。こういうモニュメントは駅の大小に関係なく、あったり無かったりするので、現地に行ってみないと見つけられないところがあります(今回のは後で調べたらホームページが出てきましたが、それも必ずしもあるとは限りません)。その分見つけたときにはそれなりの充実感がありますね。

おまけ。この時計台の向かいにある椅子です。なぜか背もたれが笑ってます(笑)。
(2014/12/15追記)
この椅子は「エコタローベンチ」という名前で、都市ごみの焼却灰を混ぜたセメントで作られているそうです。へぇ~。
- 2012/07/27(金) 21:58:28|
- 駅前モニュメント
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こちらの記事によると、どうやら東急東横線と東京メトロ副都心線が相互直通運転を開始する2013年3月16日に、東急東横線と東京メトロ日比谷線の相互直通運転が終了となるようです。

この相互直通運転は1964年の東京オリンピックの年に開始しました。同じく日比谷線と直通運転を行っている東武伊勢崎線は1962年に既に直通運転を開始していました。日比谷線建設当時は東武では既に7800系などの20m車が現役でしたが、東急では18m級の旧5000系列や16~17m級の旧3000系列が主力だったため、日比谷線も18m級の車両を使用する前提で建設されました(しかも東急の基本が6連だったため、6連の予定で計画したところを後に8連対応に変更したとのこと)。しかし現在ではどちらの会社も20m級が基本となったため、18m級日比谷線直通の車輛をわざわざ製造することになってしまいました。こういう経緯を考えると、東急側に先見の明が無かったとか、やりたい放題して逃げていったと捉えられなくもないように思えます。
ちなみに東急の日比谷線直通形式は上の写真の1000系ですが、この形式は現在7編成あります。既に1編成が除籍され、伊賀鉄道に譲渡されていますが、これら残りの編成もどこかの地方鉄道に譲渡されるのでしょうか。それとも池上線・多摩川線の旧型車を置き換えるのでしょうか。動向が気になります。

おまけの写真。元祖日比谷線直通形式7000系を改造した7700系7910Fです。以前も紹介しましたが、この編成は7000系のトップナンバーでした。7000系列よりも日比谷線直通運用が先になくなると、直通運転開始当初想像した人はいなかったでしょうねぇ。(まー、期日までに7700系が先に全廃しないとは断定できませんけど。この7910Fは残ってるかなぁ・・・)
- 2012/07/24(火) 22:13:09|
- 鉄道
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JR福知山線と加古川線が交わるところに、谷川駅という小さな駅があります。ここは現在は兵庫県丹波市に属していますが、平成の合併前はは山南町という町に属していました。

この駅前、というよりも斜め前くらいなのですが、恐竜の像があります。大きい恐竜と子供の恐竜がそれぞれ1体ずつ作られ、設置されています。これは、この旧山南町域において恐竜の化石が見つかったことが、大きな理由でしょう。地元では丹波竜と呼ばれているらいく、
丹波竜化石工房という博物館も運営されているみたいです。この駅前の像はここを訪れた人に対して、「恐竜がいたんだぞ」というPRの意味合いが強いのでしょう。ちなみに博物館は旧山南町の中心街にあるため、谷川駅よりも加古川線の久下村駅の方が、鉄道でのアクセスとしては若干近いです(ただし加古川線は本数が少ないので、実際には谷川駅からの方が便利でしょうけど・・・)。
像の後ろに「複線化」を要求する看板がありますけど、どうなんでしょう。福知山線の篠山口-福知山は利用者が年々減っているみたいなので、実現には程遠いでしょうね。。。
- 2012/07/22(日) 21:30:38|
- 駅前モニュメント
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スーパーで重そうなあんパンを見つけたので、味オンチのクセに食品レビューとかやってみます。

山崎製パンが販売している「玄米パン つぶあん」です。1年半くらい前から米粉のパンとかが話題になり、今は無き三洋電機の「GOPAN」とかが結構売れてました。今回はただの米粉を使用しているのではなく、玄米の米粉を使用しているとのこと。玄米というと独特の糠のにおいがありますが、このパンに関してはあまり糠のにおいは感じられず、わりと普通のあんパンのような感じでした。ただし、パンのふくらみとかはやはり小麦のものよりも詰まった感じがしており、それ相応の重みと食べ応えがありました。
ちなみに糠の味がわかんねぇという方は、奈良公園に行って鹿せんべいを食べてみてください・・・
- 2012/07/20(金) 23:41:42|
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今回はJRの総武本線と成田線が分岐する佐倉駅の南口にある2つのモニュメントをご紹介。

一つ目は淀井敏夫「風と鳥と少年たち」というブロンズ像です。像の上が鳥と風であり、それを支えているのが少年と思われます。実はこの像は、同じく淀井氏によって制作され、「希望、風と鳥と少年たち」という名前で岡山県立美術館や土光敏夫記念公園に設置されているものもあるそうです。

そしてすぐ隣には佐藤忠良氏が制作した「夏の像」という裸婦像があります。以前紹介した土浦駅の裸婦像は力強さが表現されているように捉えられましたが、こちらの作品は女性の身体の曲線美を強調しているように捉えられました。
私はこの街に長時間とどまっていなかったので訪問時は気付かなかったのですが、ここの駅前にはこれ以外にも像があるようです。というよりも、「彫刻通り」という名前の道があるほど、街中に多くの像があるみたいです。この「彫刻通り」は駅の北口に接続する道路であるため、列車での訪問は容易です。興味のある方はぜひ散策してみてください。
- 2012/07/18(水) 22:09:50|
- 駅前モニュメント
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JRの信越本線・磐越西線・羽越本線の3路線が交わる新津駅前にあるモニュメントです。8620形蒸気機関車の68635号機の動輪が置かれています。8620形の動輪は以前紹介した成東駅にもありましたが、こちらの方が状態が良いです。
新津駅の近くには、「SLばんえつ物語」で使用されるC57-180号機が所属している新津運輸区や、JR東日本の新津車両製作所があります。現在は新潟市秋葉区に属していますが、かつては新津市という独立した地方公共団体があり、「鉄道の街」として知られていました。個人的には「鉄道の街」として有名なので、駅前にはドーンとSLを1両置いてもいいんじゃないかと思うのですが、なかなかそうもいかないみたいですね。
- 2012/07/16(月) 17:28:37|
- 駅前モニュメント
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東急の車両には「歌舞伎塗装」なる塗装を纏った列車があります。

雪が谷検車区で寝ている7600系と7700系です。運良く歌舞伎塗装の編成が並んでいました。歌舞伎塗装はもともとは東横線の8000系から始まった塗装です。どんな塗装かは見ての通りです。前面貫通扉が黒く、その両脇に赤帯があり、ライトケースのあたりで直角に曲がり、側面に続きます。私がこの塗装を見たときはまだがきんちょだたのですが、かなり斬新でほんとに東急かと思ったくらいでした(貫通扉だけが全部色づいていたので、「泉北高速だ!」と言った記憶があったり、無かったり・・・)。東横線の8000系で導入された以降は、7600系や、池上線ワンマン化で目蒲線から移ってきた7700系3編成にも適用されました(7700系は同時に、赤帯編成には無い側面の行先表示も取り付けられる更新工事を受けました)。
この歌舞伎塗装ですが、8000系が引退したため、東横線では見られなくなっています。しかし池上線・多摩川線用の7600系・7700系はまだ現役なので見ることが出来ます。しかし、7600系は1編成が引退し、7700系もなぜか赤帯編成よりも先に歌舞伎塗装の7913Fが引退してしまっているので、歌舞伎塗装もあとはあまり長くないようです。

おまけ。この日動いていた方の7700系(7912F)です。流し撮りっぽくなりましたが、実際にはすごくゆっくり走っていました。もうちょっと右に寄せられれば良かったかな?
- 2012/07/13(金) 23:42:27|
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さて、そろそろ有名どころのモニュメントの画像もなくなってきたところなので、マイナーなものの記事を書いていきましょか。果たして何回くらい続くでしょうかw

JR常磐線土浦駅北口のロータリーにある裸婦像です。ブロンズ加工されています。彫刻作品に限らず、絵画にも多く見られますが、芸術作品において裸婦というのはメジャー中のメジャーです。もちろん駅前モニュメントとしても多くの場所に設置されていますし、公園などでも裸婦像が設置されているのをよく見かけます。今後他にも像があったらここで紹介していく予定です(でも何て文章を書こうか、、、迷うなぁ)。ちなみに今回のこの像は、下のところに何か文字が書かれているのですが、私はサッパリわかりませんでした。どなたか詳しい方がいらっしゃいましたら、ご教授いただきたく思います。裸婦像は女性のしなやかな美しさ?(曲線美??)を表現しているものが多いように思えますが、この像はむしろその逆で力強さを表現しているように見えます。遠くからみたら男性の像と間違われるかもしれませんね。
裸婦という性質上、像を公共の場に設置するか否かでもめることがあるそうですが、私は裸婦像は芸術作品として捉えるものと思っているので、設置を咎めるのには違和感を感じますね。
※2012/7/15追記
バックに映ってるイトーヨーカ堂閉店するらしいっすね。
- 2012/07/10(火) 22:14:36|
- 駅前モニュメント
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JR東日本の高崎車両センター(所在地は前橋市、新前橋駅横)に配備され始めたE233系3000番台が9月に運用を開始するようです。そうなってくると危なくなってくるのがこいつら。

高崎車両センター所属の115系です。湘南色を纏っており、上越線、両毛線、信越本線(高崎-横川)、吾妻線で活躍しています。一日一往復、両毛線を経て小山駅から宇都宮線宇都宮駅までの運用もあります。また、代走として黒磯まで運転されたり、日光線を走ったりすることもあるとか。
E233系3000番台が運転開始すると、東海道本線と同じように211系が追い出されます。211系の転属先はいろいろと候補が上がっているようですが、間違いなくこの高崎もあるでしょう。というよりも、塗装を変更せず、転属もせずに旧型車両を置き換えられるので、高崎の旧型車が真っ先に置き換えられるような気がします。現に両毛線では5連の211系が既に運用に入っていますからねぇ。
115系と同じく107系も置き換え対象になると思いますが、2連が組める自由度をJR東日本がどこまで考慮するかが鍵となるでしょう。そう考えるとやはり3連4連の115系の方が先に置き換えられそうな気がします。
- 2012/07/08(日) 19:49:24|
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JR富山駅前にある、「富山の薬売り」の像です。富山は昔から薬の製造・販売が盛んであり、現在も多くの製薬企業の拠点があります。TVCMでおなじみの「富士薬品」は創業が富山ですし、銭湯の洗面器でおなじみの「ケロリン」を製造している「内外薬品」も本社が富山にあります。また富山駅北には正露丸メーカー「キョクトウ」の工場があり、正露丸の臭いが周辺に漂っています(笑)。また、「池田屋安兵衛商店」という歴史のある薬屋が今も営業しており、一種の観光地と化しています。ちなみにその店では珍しい、というよりも昔っからありそうな薬を販売していて面白いです。
富山の薬売りと聞いて、私は野村将希氏が演じる水戸黄門の「柘植の飛猿」を思い出します。「柘植の飛猿」は忍者であることを隠すために、いつもは富山の薬売りに変装しています。変装といっても実際に薬を扱っている場面もあるので、その意味では本当に薬売りとしての役割を果たしているような気もします。ちなみに「柘植」というのは富山の地名ではなく、三重県伊賀市に実在する地名です。草津線と関西本線の乗換駅といえばわかる人もいるかな。そういうことを加味すると、飛猿は伊賀の忍者だったことがわかりますね。
- 2012/07/06(金) 23:21:18|
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JR品川駅高輪口ロータリー(タクシープール?)にある石碑です。明治5年5月7日に同駅が操業開始したことを記念して建てられたものです。
日本で最初に鉄道が開通した区間はどこでしょうという問題を出すと、新橋-横浜と答える人がいます。しかしこれは誤った回答になります。確かに正式開業した区間は明治5年10月14日の新橋(旧・汐留駅)-横浜(現・桜木町駅)ですが、それよりも前に、品川-横浜が仮開業していたのです。従って日本で最初に鉄道が開通した区間は品川-横浜となるのです。

石碑の隣には説明書きがありましたので、詳しくはこちらを確認願います。私は一応石碑の裏面も見たのですが、正直何が書かれているのかがよくわかりませんでした。へぇ~時刻表がかかれてたんですね。ちなみに当時は35分かかっていたようです。現在京浜東北・根岸線を利用して品川-桜木町を移動すると30分程度なので、途中駅が無かったことと技術がまだ現代ほど発達していなかったことを考えると、結構スピードが出ていたようにも思えます。
今回のものは比較的有名な話を取り扱っているものでしたが、こういう石碑から駅や周辺地域の成り立ちを考察するのも、趣きがありますね。
- 2012/07/02(月) 23:16:14|
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2012年6月30日、千葉県の旭市など東日本大震災によって被災した地域の子供達を対象に、JR四国「アンパンマントロッコ」の乗車イベントが実施されました。「アンパンマントロッコ」はもともと岡山-高松、岡山-琴平で運転されている列車ですが、この度震災復興の一環としてJR東日本に貸し出されました。このイベントは2日間に分けて行われ、1日目が成東→旭→銚子、2日目が銚子→佐原→成田で運転されます。イベント自体は6月30日・7月1日のほかに、7月7日・8日にも同じルートで実施される予定です。ちなみに「アンパンマントロッコ」はこれまで東北地方や茨城でも運転され、この千葉での運転は一連のイベントの千秋楽となります。今回私はトロッコの始発駅となる総武本線の成東駅で撮影してきました。

首都圏での開催ということもあり、幅広い年代の人がたくさん集まっていました。まぁ今まで走行した区間の中では最も東京に近いところなので、当然といえば当然ですが。

牽引はDE10-1202です。この機関車は宇都宮運転所所属となっていますが、普段は千葉県内の工臨とかで使用されているらしいです。「アンパンマントロッコ」が四国で運転される際にはディーゼル機関車は連結せず、キハ185形が牽引しますが今回はキハ185形を直接運転するのが諸所の理由で難しいため、このような機関車での運転となっている模様です。ちなみに「アンパンマントロッコ」のヘッドマークは、水郡線で旧型客車を利用して運転されていた「奥久慈レトロ号」のウラを使用しているみたいです。

今回の主役、「アンパンマントロッコ」ことキクハ32-502です。1日目は機関車が銚子側についていたため、お顔を拝むことは出来ませんでした。2日目は機関車が千葉側についていたらしく、お顔を御拝むことが出来たようです。成東駅で記念撮影しようとしていた子供達にとってはちょっと残念だったかな?

最後尾に連結されていたキハ185-26です。今回の運転では控車として連結されています。キハ185形は四国内の特急用として導入された形式で、現在も「剣山」などの特急運用に充当されていますが、一部は普通列車に転用されたり、九州に譲渡され「九州横断特急」「くまがわ」として運転されているものもあります。このキハ185形が首都圏で見られることも、十分貴重な出来事でしょう。ちなみに私は緑帯のキハ185形は初めて見ました。
列車が発車するまでに、E257系や211系と共演する場面もありましたが、人が多かったので撮影できませんでした。列車交換のある小規模な駅とかで撮影した方が、「千葉を走っているぞ」というところを撮れたかもしれませんね。
- 2012/07/02(月) 00:41:00|
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JR総武本線・東金線の成東駅にはモニュメントが3つほどあります。

1つ目は「礎」という石碑です。これには解説の掲示板がありました。第二次世界大戦終戦間際、この成東駅が空襲の被害に遭い、停車中の弾薬に引火してしまいました。国鉄職員や陸軍の兵士が消火活動にあたったものの、食い止められずに爆発。作業に当たっていた方々は全員命を落とされたとのことです。終戦からしばらく経ち、十三回忌のタイミングでこの慰霊碑が設置されたとのことです。

2つ目、3つ目は並んでいます。上の写真左側の「魁」という石碑は、この地の名士であった安井理民氏の功績をたたえたものです。安井氏は総武鉄道の開通に尽力した方で、この成東の地に鉄道を誘致させたとのこと。しかし鉄道開通は安井氏がなくなった後のことだったため、直接安井氏本人がこの地に列車が入線する様を見ることは出来なかったようです。
3つ目は写真右側の動輪です。真っ青になっています。どうやらこの動輪は蒸気機関車8620形の動輪らしいのですが、実際どの車両のものだったのかよくわからないみたいです。動輪が駅前に設置されている駅は結構多いのですが、ナンバープレートも一緒に設置されていることが多いです。ちなみに8620形は1960年代までこの地で活躍していたとのこと。「魁」と動輪は隣同士に置かれていたので同時に設置されたもののような気がしますが、「魁」の解説に機関車のことが触れられていなかったので、一応別物として紹介しました。
ちなみに私が成東駅をなぜ訪れたかは、別の記事で書きます。。。
- 2012/07/01(日) 23:41:29|
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