引き続き東武東上線の駅のモニュメントを紹介します。今回は東京都板橋区にあるときわ台駅のモニュメントです。

まずは「誠の碑」と題されたモニュメントです。このモニュメントは、後ろに写っている常盤台交番に勤務していた宮本警部(殉職後巡査部長から昇進)が、駅隣接の踏切で自殺しようとしていた女性を身をもって救った行動を称え、設置されたものです。この事件および宮本警部の勇敢な行動については、ドラマ化されたり、学校教育などで子供たちに指導されたりしていますが、モニュメントでも伝承していっています。このように、ある人物の偉業を伝えていく手段として、モニュメントが有効であることをこれは証明しているようにも思えます。
ちなみに「誠の碑」いうタイトルは、宮本警部が「誠実」「誠心」「誠意」というモットーを掲げていたところから名づけられたそうです。モニュメント設置の経緯だけでなく、タイトルからも宮本警部の人柄がわかるような気がしますね。

二つ目は駅前広場にある、鳥の銅像です。ペリカン・・・でしょうか?顔を真上に上げて鳴いているように見えます。ちなみに像のタイトルを探したのですが、どこにも記されていませんでした。また、作者の名前と思われる記述があったのですが、サインのようなものだったので解読が出来ませんでした。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただければ幸いです。

続いては駅前広場にある噴水の彫刻です。石膏像でしょうか?人型の像が設置されています。これを見て私は「ペプシマン」を思い出しました。ペプシマンのCMをやっていた頃のペプシコーラは、今売れ筋のペプシNEXが無かったので、なんとなく地味な印象を受けていましたが、コカコーラよりも苦味が少なかったので子供だった私にとっては割りと飲みやすかったような記憶があります。まぁ、今でもペプシの方が甘いような気がしますけどね。
ちなみに像の台座裏には、駅前の美化活動に尽力された方々を称える文章が記された石版がありました。昭和34年とかかれているので、上に乗っている像もそれくらい古いのでしょうか。
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- 2013/08/30(金) 17:00:00|
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久々の飲料ネタいきます。前から気になっていたものです。

めいらくの"スジャータ"ブランドの一つ、「赤葡萄」ジュースです。ジュースとはいうものの、でかでかポリフェノール380mg、プロアントシアニジン30mgと書かれているため、なんとなく健康食品系のジュースっぽい印象を受けました。一応果汁は100%ということなので、濃厚な味が期待されます。

コップに注ぐとこんな感じ。かなり色が濃いです。なんとなく甘いジュースというよりも、渋いジュースのような気がします。ジュースの味というよりも、ワインの味に近そう。
いざ飲んでみると・・・苦い?渋い?んんんん・・・やっぱり甘い。確かにワインのような苦味もあるのですが、ジュースの甘みの方が強かったです。ぶどうの味は色通り濃厚でした。これは確かに健康食品系の飲料っぽいですね。
ちなみに今回このジュースは小さいパックの物を購入したのですが、大きいパックのものも販売されており、どちらかというとそちらの方が多く出回っているようです。健康志向の方は、一度飲んでみてはいかがでしょ?
- 2013/08/27(火) 18:18:00|
- 飲料
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北陸の旅に続いて、「東上線1日フリー乗車券」を利用した東武東上線の旅にも行って参りました。東上線の車両は地元にもやってきますが、実際に沿線を散策するのは今回が初めてです。というわけで、しばらくは北陸と東上線のモニュメントで記事を書いていこうと思います。え?正月の九州とGWの名鉄・西武のネタも消化不良だろって?それもあわせて書いていく予定です。
東上線初回は「TJライナー」最初の停車駅であるふじみ野駅前のものを紹介します。埼玉県にはふじみ野市という市がありますが、この駅は富士見市にあります。なお、ふじみ野市役所の最寄は隣の上福岡駅になります。この駅には富士見市が設置したモニュメントが西口・東口にそれぞれあります。

まず西口のものを紹介します。西口には高須賀昌志氏がデザインした「家族の肖像」というモニュメントがあります。これは"家族=コミュニティの核→共感して集合体となる=理想の街"と考え、その第一歩となる家族を表現しているとのこと。説明するのも面倒なので、上の画像に紹介されているものを左から順にぽぽぽぽーんと貼り付けていきます。
父が椅子(と言ってもベンチのような人が座れるものではありませんが・・・)、祖父が時計台になっていますね。それ以外はちょっとすぐに理解することが出来なさそうなモニュメントですが、非常にユニークなものだと感じられます。

続いては東口。こちらは鈴木尚和氏がデザインした「富士見 夢の舟」というモニュメントがあります。こちらは説明の通り、さまざまなものをイメージさせるようなつくりの空間枯山水としてデザインされているとのことです。遠くには富士山が見えるように概念スケッチが書かれていますが・・・



あ、正面にビルがある。というか、駅舎のまん前であるここからこの方向は、富士山とは正反対の方向です。向こう側から見るとちょうど富士山の方角になるのですが、冬の晴れた日とかだと見えるのかな?あくまでもイメージだけなのでしょうか?
いずれのモニュメントも富士見市が設置しているものですが、行政がここまで凝ったモニュメントを設置する例も結構珍しいような気がしました。
- 2013/08/25(日) 15:52:58|
- 駅前モニュメント
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わざわざこれだけのために、お金を払ってここまで来たようなモンです・・・

今回は北陸鉄道浅野川線の終点である、石川県河北郡内灘町の内灘駅前のモニュメントをご紹介します。駅前は結構狭いのですが、バスの発着もあります。そんなところにあるモニュメントは「ふれあい」と名づけられたブロンズ像でした。像は男の子と女の子がそれぞれ1体ずつあり、それぞれの手で1匹の鳥をつかむように作られています。まさに鳥を介して男の子と女の子が「ふれあ」っているような像ですね。ちなみにこの像は1995年5月19日に「内灘LC.CN25周年記念」として設置されたもののようです。内灘LCのLCは恐らく、ライオンズクラブのことでしょう。

北陸鉄道浅野川線は起点の北鉄金沢駅からこの駅までは、わずか6.8kmです。通常通り乗車すると運賃は片道310円と割高ですが、土休日などには比較的安く乗車できる一日乗車券の
「土日祝限定1日フリーエコきっぷ」が販売されており、リーズナブルに利用することが出来ます。
ちなみに終点の内灘駅がある内灘町は金沢市の北部に位置しており、同市のベッドタウンになっています。それゆえ住宅地が密集していることから、石川圏内では野々市市に次いで人口密度が高い自治体となっています。これが関係していると思われますが、浅野川線は地方私鉄ながら1時間当たり2~3本便が確保されており、利便性はまずまずのようです。こういうローカル私鉄の沿線は"味"があるので、利便性が高いようなら一度じっくり散策してみたいですね。
- 2013/08/23(金) 18:00:00|
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北陸第2弾は、富山県魚津市の魚津駅前のモニュメントをご紹介。ちなみにこの駅には富山地方鉄道の新魚津駅が隣接しています。

まずは駅舎の前にある湧水です。”魚津駅前の「うまい水」”と命名されています。画像がぶれていて見難く申し訳ないのですが、近くにあった石碑には、今は廃校となった洗足学園魚津短期大学の池田彌三郎教授が魚津の水と空気のうまさを絶賛していた文言が記されています。ちなみにこの辺りは恐らく立山の辺りからうまい水が流れているのでしょう。そのため、魚津近辺の駅には同じく駅前に湧水があるところが何箇所かあります(後日徐々に紹介するつもりです)。

二つ目は「蜃気楼の見える街魚津」と彫られた石碑です。「まちづくりモデル事業完成記念」として1991年(平成3年)12月に設置されたもののようです。
魚津市の公式ホームページにも記されている通り、魚津の海辺では蜃気楼を見ることができます。「魚津といえば蜃気楼」というくらい観光PRをしているので、割とご存知の方も多いかと思います。ちなみに私は蜃気楼を見たことが無いです。ホームページに
ライブカメラがあるみたいなので、張っていれば見れるかな・・・

続いては「巣立ち」というタイトルのブロンズ像です。男性が両手を挙げており、右手に何か持っています。えてしてこのようなタイトルの銅像は手に飛ぶ立とうとする鳥がいたりするのですが、この像は・・・筒?棒のような、筒のようなものを持っています。ひょっとするとこの「巣立ち」というのは卒業を意味しており、手に持っているのは卒業証書の筒なのでしょうか。皆さんはどう捉えられますか?

最後は二つ上のモニュメント同様、「"蜃気楼の見える街"魚津」と書かれたブロンズ像です。これは駅舎前のポストの上に乗っかっていました。これは先程のものとは異なり魚津市制50周年を記念して設置されたもののようです。ちなみにこの像は、
「たてもん祭り」というお祭りで使用する提灯を帆型につるした「たてもん」をモチーフにしています。ポストの上というひっそりとしたところに置かれていますが、観光PRの影響力はありそうですね。

おまけ。駅の裏側(富山地鉄新魚津駅側)を徘徊中、テレビカーの試運転に遭遇しました。いきなり来たのでこんな分かり辛い画像しか撮れませんでした。中間車のテレビカーはちょっと前まで京阪電車で活躍していた車なのですが、
富山地鉄のホームページによりますと、もう今月末から営業運転に就くみたいですね。
- 2013/08/20(火) 18:00:00|
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留守中もご訪問いただきまして、ありがとうございました。無事、帰還いたしました!
今回は北陸方面に行ってまいりました。ですので、北陸地方の駅やその道中の駅のモニュメントを紹介して生きた言うと思います。あ、ちなみに北陸地方の方で、カメラを持ちながらやたらと駅前をウロウロしている怪しい人見かけませんでしたか?それは多分私です(笑)

いきなり暗い画像でごめんなさい。夜に訪問したのでこれが限界でした。
今回は福井県の中心駅である、JR福井駅前のモニュメントを紹介します。まずは、、、木?何これ?と、言ってはいけません。ちゃんと説明があります。これは「出会い・つながりベンチ」と書かれている通り、ベンチのようです。確かに、腰掛けるにはちょうどいい高さでした。まぁ、ただの木を切っただけのものかと思いきや、どうやら「Picnic」という名前が付けられており、赤松慶隆氏によってデザインされた逸品のようです。また、素材の木には福井県産の杉を使用しており、地産地消しているとのこと。いやぁ、ずいぶん奥が深いベンチなのですねぇ。でも、何で”ピクニック”なのかは正直よくわかりませんでした。ピクニックに行ったときに腰掛ける切り株をイメージしているのかな?

次はもっと暗い画像でごめんなさい。こちらは名称不明のモニュメントです。コンクリートの柱とガラス板、ステンレス製のひねりが利いた棒で作られています。名称不明なのでなのを表現しているのかははっきりわかりませんが、なんとなく私はこれを見て楽器のハープが頭に浮かびました。というのも、日本でハープを製造している会社は福井県にしかなく、事実上ハープが福井県のご当地産品として知られているからです。まぁ、これはあくまでも私の見解なので、実際にはぜんぜん異なるものをイメージしているのかもしれませんね。
- 2013/08/18(日) 15:39:23|
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もうそろそろお盆ですね。終戦の日が近いので新聞やテレビでは戦時中の話題を取り扱っているものが増えてきました。私もそれに便乗して太平洋戦争関連のものをアップします。
今回はJR山陽本線・岩徳線の岩国駅前のモニュメントをご紹介します。

まずは戦争関連のもの。「和」と題された石碑です。裏には「爆弾投下中心地」と彫られています。石碑の説明によりますと、終戦の前日である1945年(昭和20年)8月14日にこの岩国駅前が空襲の被害に遭い、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするためにこの石碑が建てられたとのことです。終戦の前日というところが、よりこの石碑の存在意義を重くしていると、私は思います。
近年日本も軍事関係に力を入れようとしていますが、私個人としましては軍とかそういうものはマクロ的な考えから見て"新しいものを生み出さない""ゆるやかな衰退"をもたらす物と捉えています。自衛権と言うのは正当防衛の観点から見ても行使すべきものとは思いますが、"軍事関連に著しく傾倒してしまった場合、結局のところ自分の首を絞めるだけになるのではないか"と、勝手ながら思っています(あんまりこの話長々としたくないので、端折ります)。

続きましては岩国市内にある日本三名橋の一つ「錦帯橋」を模したモニュメントです。「ミニ錦帯橋」と言うとなんとなく合っているかなと思います。錦帯橋は江戸時代に作られた木造のアーチ橋で、実物は錦川を渡るため約200mほどになります。現在では名勝の一つに選ばれており、史蹟名勝天然紀念物保存法に基づき保存され、度重なる災害による損傷からも復旧しています。

岩国駅からはバスを利用することで錦帯橋へ行くことが出来ますが、鉄道のみを利用する場合、岩徳線の西岩国駅または川西駅から徒歩で行くことになります。岩徳線の岩国-川西は岩徳線の列車の他に、旧岩日線を引き継いだ第三セクター「錦川鉄道」の列車も乗り入れます。上の車両は「きらめき号」と名づけられていますが、錦川鉄道の車両全4両は1両1両に愛称が設けられており、塗装もそれぞれ異なります。塗装も清流を髣髴させるものであり、観光PRの一翼を担っているようにも見えますね。
- 2013/08/11(日) 16:00:00|
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青森県の弘前市近辺に弘南鉄道という私鉄があります。この会社には大鰐線という路線があるのですが、ちょっと騒がしいことになっています。
こちらの記事では6月の同社の株主総会にて社長が同路線の廃止を検討している旨の発表をしたのですが、その1ヵ月後には一転して存続させると報道されました。しかしいずれにせよ存続までにはハードルがあり、
こちらの記事によりますと、存続のための協議会が設置されるとのことです。
今回はそんな苦境に立たされている大鰐線の車両をご紹介します。まずはメインで使用されている・・・

おや、どこかで見たことのある弁当箱・・・
元東急の7000系です。若干色が違うようにも見えますが、前面の赤帯が東急時代を髣髴させます。大鰐線には上の画像の赤帯び編成の他に、前面と側面に青帯を巻いた編成も在籍しています。

こちらの前面帯は赤帯編成のものより若干下にあるのですが、それでも同じく青帯を巻いていた同じく元東急7000系の、今は無き秩父鉄道2000系を髣髴させます。
ちなみに弘南鉄道は雪の多い地域を走るので、スノープラウが取り付けられています。その点で東急時代とは異なる印象を持つ方もいらっしゃるかもしれません。

ちなみに上の画像は現在も東急で活躍している元7000系の7700系です。こちらの方が赤帯が少し明るい色のような気がします。
続きましてはこちらも元東急の6000系です。

あ、6000系っていっても大井町線で活躍しているこやつじゃないですよ。

6000系は7000系が製造される前に導入された形式で、車体の枠組みが鋼鉄製であるセミステンレス構造になっています。いろいろと鉄道技術の実験的要素が強かったためあまり増備はされませんでした。東急時代は今活躍している6000系同様大井町線を主な持ち場として活躍していましたが、1989年までに全て運用から退き、一部が弘南鉄道に譲渡されました。大鰐線入線後は快速運用などにも就いていましたが、快速廃止後は波動用としてたまーに動いているものの、ほとんど車庫で寝ていることが多いです(さよなら運転も実施したのですが廃車にはなっていません)。東急時代は赤帯を取り付けられずに運用離脱したのですが、弘南鉄道入線後には7000系と同様に赤帯が取り付けられました。東急時代に赤帯が付けられていたらこんな風になってたんだろうなーっと、思っちゃいますね。ちなみに上の画像は数年前に撮影したものであり、ピンク帯になっていますがこれは色褪せです。この時快速廃止から数年経っていたので、波動用になってからしばらく経過していました。現在残っている編成は帯が全て外され、東急時代同様銀一色になっているようです。
大鰐線が苦境を脱するのは簡単ではないでしょうけど、なんとか踏ん張ってもらいたいものですね。
- 2013/08/09(金) 17:00:00|
- 鉄道
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喜多方駅の記事で東北に行って散々な目に遭ったと書きましたが、詳細を。私は青春18きっぷを利用して、日帰りで喜多方へ行きラーメンを食べる計画を立てていたのですが、17時40分頃郡山駅に到着した時点で東北本線が上下線ともに大雨で運転見合わせ!さらに今乗ってきた磐越西線も運転見合わせするという始末。さぁ困った!困った!
・・・というわけで青春18きっぷ1日分より高い料金を払って、18時5分くらいの新幹線「なすの」に乗り、那須塩原までショートカットすることにしました。新幹線は早いんだけど、自由席特急券でもやっぱり高いなぁ。なんか、早くて高い新幹線と遅くて安い在来線(三セク化したところを除く)の二極化が近年はっきりしているように思えます。
というわけで、ただ新幹線に乗っただけでは悔しかったので、時間があまり無い中、那須塩原駅前のモニュメントを撮影してきました。夜18時半頃だったので暗い画像になってしまいましたが、お赦しくださいませ。この駅を通過するのことは頻繁にあったのですが、実は外に出たのは今回が初めてでした。いつもは宇都宮-黒磯を乗り通すだけなので、こういう機会でもない限り、降りない駅だったのでしょう。

まずは地元出身の彫刻家・佐藤健次郎氏による「さわやかなみどり」という半裸婦像です。完全な裸婦像は割といろいろな駅前にあるのですが、半裸婦像というのは初めて見ました。少しだけ服を着ているところに、他の像とは違う作者のセンスが感じられます。

続いて「巻狩鍋」という鍋をご紹介・・・と言いたいところですが、本当に"鍋"だけの画像です。
こちらのページのよりますと、「巻狩」は沢山の勢子が獲物を追い込み、武将が討ち取る狩りの手法であり、この地区では源頼朝が征夷大将軍に就任した後に「那須野巻狩」という大規模な狩りが行われたそうです。そしてその獲物である鹿や猪の肉などを、大きな鍋で煮込んで食べたものが「巻狩鍋」なのだそうです。ちなみに現代ではアレンジされた巻狩鍋が、お祭りなどで振舞われるとのことです。

巻狩鍋のところは屋根がついているのですが、同じところに「日光御神木樹齢約四百年」と書かれた木があり、そこには小倉百人一首にも短歌が撰ばれている、鎌倉幕府第3代征夷大将軍の源実朝(鎌倉右大臣)の歌も書かれていました。先程の巻狩鍋同様、源氏にとってゆかりの地であることが窺えますね。

続いては「巻狩の里黒磯市」と書かれたモニュメントです。またも巻狩ネタですが、モニュメントの形は・・・クワガタ?狩りと何か関係があるのでしょうか?ちなみに黒磯市は市町村合併により、那須塩原市に変わっています。当然、市名の由来はこの駅です。

もう一つ、こちらは栃木県内で活躍する
彫刻家の上原守男氏によって製作された「九尾の狐」という石像です。「九尾の狐」は美女に化けるという伝説がある狐です。美女の像ではなく狐を像にするところが、この像のおいしいところなのでしょう。

本当にこれが最後。紹介しようか迷いましたが、石碑なので一応。北那須ライオンズクラブとみちのく鹿島ライオンズクラブの結成10周年を記念して設置された石碑です。特に芸術的工芸品ではありませんが、石碑があったら紹介する主義なので、紹介します。でも、これと同じような石碑"のみ"存在する駅もあるので、どのように紹介しようか悩みどころなんですよね・・・
紹介するのを2回に分けた方が良い位のボリュームになってしまいましたね。新幹線に乗ったモトはこれでとれたかな?
- 2013/08/06(火) 20:00:00|
- 駅前モニュメント
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前回の記事でフラグを立てましたが、今回は喜多方と言えば当然これというものをご紹介。

喜多方といえば喜多方ラーメンでしょう!今回は喜多方市街にある「坂内食堂」の「肉そば」をご紹介します。この店は通常の中華そばもあるのですが、「肉そば」を食べることをお勧めします。値段は900円なのでラーメン一杯で考えるとちょっと高いような気もするのですが、損はしないと思います。その理由は肉の多さ!画像を見れば分かると思いますが、麺を完全に覆うくらいチャーシューが載せられています。通常の中華そばがチャーシュー4枚らしいので、それと比べると半端ない量ですね。
ちなみに肉の多さだけでなく、それ以外のところも語っていきましょう。まず麺ですが、これは喜多方ラーメンお馴染みの平打ち麺です。恐らくこれに関しては近隣のお店とは大差が無いでしょう。スープは透き通っており、一応しょうゆ味のようですがなんとなく塩味のような感じもする、淡白な仕上がりとなっています。私はいつも来た方を訪問する際には、喜多方ラーメン発祥のお店こと「源来軒」を利用していたのですが、そこはスープの味が濃かったので、あまりの違いの大きさに少し驚きました。ラーメン屋というのはスープで個性が出ると言うことがよくわかりますね。
ちなみにこのお店を訪問する際は、ピークの時間を避けた方がよさそうです。私は12時台に訪問をした結果、店外で30分くらい行列に並んで待ち、ようやく店内に入ったところでさらにレジまで10分くらい待ちました。どうしてもピーク時に訪問される方は、時間に余裕を持って行動しましょう。じゃないと私のように食べた後、ダッシュで喜多方駅に行くようなことになりますから・・・
- 2013/08/04(日) 14:45:39|
- 食いもん
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前回は100回のまとめを書きました。早速ですが今回は101回目のモニュメント記事を書きます。

今回はJR喜多方駅前の石碑を2つご紹介します。ちなみに訪問日は2013年7月27日の土曜日。この日は東北地方の各地で大雨が降ったため、多くの在来線が運転見合わせ、この磐越西線も午後から終日運休となりました。え?大丈夫だったかって?大丈夫じゃねぇよ!ま、まぁ、大丈夫じゃなかったことについてはそれ用のネタもあるので、また後日詳しく書きます。

まずは「旅する人恙なき哉」と書かれた石碑です。これは駅舎横のバスターミナルの隅っこに設置されています。設置は昭和二十四年でしょうか?四っぽく見えますが、よくわからないですねぇ。ちなみに喜多方駅の開業は1904年(明治37年)、現在は廃線となった日中線の開業は1938年(昭和13年)、磐越西線郡山-喜多方の電化が1967年(昭和42年)なので、史実としては特に何かあったわけではなさそうです。私個人の想像ではありますが、第二次世界大戦のすぐあとなので、この地域から東京などの都市部へ働きに出る人々へエールを送るために、「恙なき哉」と書かれたものを設置したのではないかと思っています。

もう一つはこの石碑。先程のものの隣に設置されています。・・・読めない(泣)。石自体が変色していること、文字が彫られた部分に色が塗られていないこと、さらに文字が達筆なことという三つの要素が重なって判読不能になっています。ん?判読不能なのは私だけか?どなたか読めますか?
まぁ、これだけ読みにくくなっているので、これも古くから設置されている石碑なのでしょう。そう考えると、昭和20年代から設置されていてシッカリと文字が読める先程の石碑が、いかに大切に扱われているかがわかりますね。
ちなみに私がこの喜多方に来た目的については、次回書きます。まぁ、この地名を聞けば皆さんわかるかと思いますが(笑)
- 2013/08/02(金) 21:29:53|
- 駅前モニュメント
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