熊本電気鉄道の公式ニュースによれば、
以前このブログでも紹介した「青ガエル」こと元東急5000系の5101A号が、来月の14日に現役を引退するそうです。これで各地に散らばっていった旧5000系は全てが引退することになります。なお、熊本電気鉄道はこの車両を北熊本駅の車庫にて保存することを同時に発表しています。
ということで今回は青ガエルが乗入れる、JR・熊電上熊本駅前のモニュメントを紹介します。ちなみに訪問したのは青ガエルの記事のときと同じなので、もう3年前になるんですね・・・

モニュメントはJRの駅舎から見て、駅前交差点の対角線上の位置(市電の駅舎の向かい)に設置されています。まず一つ目は「若き日の漱石」と題された、夏目漱石の銅像です。説明板も隣に設置されていましたが、それによれば夏目漱石が旧制第五高等学校(現在の熊本大学)の英語教師として赴任したのはこの熊本県で、1896年(明治29年)に熊本にやってきて降り立った駅というのがこの上熊本駅なのだそうです。この銅像はその漱石の来熊100年を記念して、1996年(平成8年)に設置されたものとのことです。漱石の教師時代の経験から執筆された「坊っちゃん」の舞台が愛媛県だったので、漱石の教師時代=愛媛県というイメージが強かったのですが、熊本でも教師をしていたんですね。

次は銅像と同じ島に設置されている石灯篭と地蔵です。え?本当にこれ地蔵なのって?・・・正面から撮影するのを忘れました!思いっきり後ろから撮影してしまっていますが、確かに地蔵です。というか、目が悪いのと陰で暗くなっているのが重なって、これが前面だと思っていました。石灯篭の方は他所で見るものと比べると、大分細いものですね。でも飾りっぽさはなく、実際に使われていたもののようにも見えます。
ということで青ガエル引退まであと半月。見に行きたいけど流石に遠いな~・・・
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- 2016/01/31(日) 15:00:00|
- 駅前モニュメント
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(注)2016/10/12 誤りがありましたため、本文を修正いたしました、
今回はビールのお話。皆さん、キリンの「ラガー」は実はラガービールではないってご存知でしょうか?ラガービールとは貯蔵工程において低温で熟成させるビールのことらしいですが、現在の「ラガー」は普通の生ビールと同じ非加熱処理の製法で作っている一方で、「クラシックラガー」は従来の熱処理製法で作っているとのこと。

しかし、キリンの「クラシックラガー」は普通の「ラガー」とは異なり、本来のラガービールの製法で製造されているビールとのこと。恐らく「偽者のラガーなんて飲んでらんねーよ」とか、ラガービール愛好家から怒られたんでしょうかね。というわけで今回はこの普通の「ラガー」と「クラシックラガー」がどう違うのか、比較をしてみました。
原材料などの表記を見ると、大きく違うのはアルコール度数ですね。普通の「ラガー」は他のビールと同様に5%ですが、「クラシックラガー」は4.5%になっています。原材料は同じものを使用しているようですが、糖質はクラシックの方が高い模様。

注いで見た感じはこの通り。まぁ・・・見た目じゃわからんよね。同じメーカーのビールだもの。早速味の方に入りますが、普通の「ラガー」の方が苦味が強いですかね。「クラシックラガー」の方が多少マイルドな味のような気がしました。これがアルコール度数の差によるものなのか、加熱処理の有無によるものなのかは定かではありませんが・・・
まぁ、同じ値段で両方売られていたら、クラシックの方を買いますかね。なんだかそっちの方がホンモノっぽいですからね。皆さんも比較してみてください。
- 2016/01/29(金) 09:00:00|
- 飲料
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今回は高知県高岡郡四万十町にある、JR土讃線・土佐くろしお鉄道中村線の窪川駅前のモニュメントを紹介します。多度津駅から続く土讃線はこの駅が終点ですが、特急は全て土佐くろしお鉄道中村線に乗入れます。また、隣の若井駅からJR予土線の列車も乗入れてきており、事実上の終点となっています。

まずは駅入口の横に聳え立つ「鉄道開通記念」の石碑です。この手の石碑では「鉄」の字が旧字体になっていることが多いのですが、この駅が開業したのは1951年(昭和26年)11月であり、戦後ということもあってか現在の汎用的な文字が使用されています。ちなみに題字を書いたのは当時高知県知事だった、桃井直美氏とのことです。なお、この石碑には裏面にも記述があったのですが、下部の設置者と思しき人物の記述以外は英文となっていました。後ろが狭くて入ることが出来ず、読むことも撮影することも上手くできなかったのですが、少なくとも開業記念碑系のもので英文つきなのは、はじめて見かけましたね。

次は上の石碑の左にある、同じようなデザインながら大きさは大分小さい石碑です。石碑には「朝鮮民主主義人民共和国 帰国記念植樹」と書かれています。同じような帰国記念植樹は
高知駅前にもありましたが、あちらはヤシの木でした。そしてこちらは隣に設置されていた垣根みたいな木だったのですが、なんと葉っぱと枝がハート型になるように手入れされていました。
いやはや、てぽどん持ってるあの国にハートは似あわねぇな・・・
そして上のハート型の木の奥には、これまた駅前でよく見かける石灯篭が設置されていました。う~ん、戦後は電灯とかあったと思うのですが、これは実際に明かりとして使用されたものなのでしょうか?なんとなく庭の飾りとして置いているだけのような気がしないでもない・・・
ちなみにこの窪川駅の所在地は四万十町の”琴平町”らしいです。ややこしい・・・
- 2016/01/26(火) 18:00:00|
- 駅前モニュメント
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冬のうちに出しておきたいネタは早めに出しとこうかな・・・

今回はJR東北本線黒田原駅前のモニュメントを紹介します。上の画像は駅舎内にあったのですが、”くろだはら”だから”だっぱら”ですか・・・。ちなみにこの駅は栃木県那須郡那須町の中心部にある駅で、管轄は大宮支社となっています。しかしやってくる列車は全て仙台支社の車両であり、上りは全て黒磯止まりですが、下りは最も遠くて仙台まで直通する列車があります。

そんな黒田原駅前には・・・え、トナカイ?いや、トナカイはサンタの衣装は着ないでしょう!馬の像ですよ。訪問したのが年末だったのでサンタの衣装を着せられたままになっていました。さて、この馬ですが、名前は「那須駒」という馬であり、それについては説明板が用意されていました。それによれば「那須駒」というのはこの地域の馬市場で取引された馬のことを指すそうで、この黒田原駅北側には明治時代から昭和中期まで馬市場があり、そこで取引されていた馬が「那須駒」と呼ばれていたのだそうです。ちなみにここでは農耕馬を中心に良馬が取引されていたため、出馬頭数は全国二位だったこともあるとのこと。ちなみに像が金色に塗られている理由はわかりません。金色の馬といえば随分前に
京王府中競馬正門前駅の「アハルテケ」像を紹介していますが、それとは関係ないと思われます。

ちなみに像の隣にはこんな看板が。最近流行りのゆるキャラ?萌えキャラ?でしょうか。2010年11月3日に誕生した、那須駒の「クロロ」と世話人である女子中学生の「ゆめな」という、黒田原地域のイメージキャラクターだそうです。デザインは那須塩原市のイラストレーター・吉川雅之氏であり、地元のパンフレットや地場産品などで使用されているようです。
- 2016/01/24(日) 15:00:00|
- 駅前モニュメント
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東武日光駅、
JR日光駅と行ってまいりましたが、何もモニュメントの撮影をしただけではありません。
・・・滞在時間は40分(笑)
ということで昼食を食べようと思ったのですが、観光客でどこもいっぱいだったので、軽食を食べました。

丁度東武日光駅前のお店にこんなまんじゅう売り場がありました。「あげゆばまんじゅう」と書いてあります。まぁ日光は湯葉が有名ですから、それを生地に使用しているのでしょうか?でも湯葉って薄いよな・・・

買ってみたらこんな感じ。見た目は天ぷらですかねぇ。ちなみに周りについている白い四角い粉みたいなものは、砂糖ではなく塩です(天ぷらって塩でも食べるよなぁ・・・)。肝心のお味の方ですが、これもやっぱり天ぷらみたいな感じです(笑)。なんというか、あんこの周りに分厚い天ぷらの衣がついている感じでしょうか。でも、会津若松名物の饅頭の天ぷらとは異なりますかね。饅頭の天ぷらは饅頭の皮の外に衣がある感じですから。周りの塩が衣とマッチしているので、あんこが入っているものの、お菓子よりお惣菜近い気がしました。
ちなみにお土産用に複数入りのものも売られていたので、日光へ観光の際はぜひ食べてみてください。
- 2016/01/22(金) 09:00:00|
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東武日光駅の記事を書きましたが、当然ここに行っただけではありません・・・

当然JR日光線日光駅にも行きました。というよりも、18きっぷ使ってこの駅に最初に降り立っています(笑)、ということで今回はJRの方の日光駅前のモニュメントを取り上げます。

まずは東武日光駅前にもあった「ようこそ 世界遺産のまち 日光ヘ」の石碑です。文字やデザインは同じですが、石の材質が異なっており、東武日光駅前のものが黒っぽい石なのに対し、こちらは白っぽい石を使用しています。ちなみに「205系の普通列車しかこないこの駅にこんな観光客向けの石碑意味あるの?」とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが。実は外国人観光客の多くがこのJR日光駅を利用しているのです。恐らくJR乗り放題の
ジャパンレールパスを使って来るからでしょうね。

次は解字タイトルの古い石碑です。一応本文のところの記載によれば、「日光鐵道碑」というのがタイトルのようです。本文は漢文になっているので、判読するのがめんどくさいです(笑)。恐らく前回の
東田子の浦駅のものと同様に、日光鐵道(現・日光線)の開業までの話が書かれているものと思われます。

上の石碑の隣にはこんな石畳の絵がありました。石碑と何か関係あるんですかね?

次も日光線関連の石碑ですが、「日光驛開業五十周年記念」の石碑です。タイトルと設置年、設置者(日光町)のみ記載のシンプルな石碑ですが、設置年が「皇紀二千六百年」と書かれています。皇紀というのは神武天皇の即位した紀元前660年を元年とする紀年法であり、皇紀2600年は西暦では1940年になります。確かに日光駅の開業は1890年(明治23年)なので皇紀ではその年になります。

次は「男體山」と書かれた、石で出来た灯篭です。灯篭といっても火で明るくするものではなく、電気で明るくする現代のものです。ちなみに「男體山」は当然、日光にある男体山のことです。字は大分変わっていますが、IMEによれば”體”も”タイ”と読むんだとか。旧字体にしては変わりすぎですかね。

最後は東武日光駅前にもあった石製の水のみ場です。こちらは「日光のおいしい水です。ご自由にお飲み下さい。」と書かれています。「日光のおいしい水」かぁ、なんか聞いたことあるような・・・似ているような響きがあったかな・・・。あ、「六甲のおいしい水」か!
- 2016/01/19(火) 18:00:00|
- 駅前モニュメント
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さて今は1月なのですが、今の時期百人一首で遊ぶ人もいるはず。ちなみに私は高校時代「40枚以上とったら名前が載るよ」といわれていた百人一首大会で、40枚以上の人が少なくて39枚ながら名前が載ったことがあります。そんな百人一首にこんな句があったのを覚えています。
「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士のたかねに 雪は降りつつ」 山部赤人

ということで今回は「田子の浦」からのネタを。JR東海道本線東田子の浦駅前にあるモニュメントを紹介します。ちなみにこの場所は静岡県富士市になりますが、1966年(昭和41年)までは吉原市でした。ここの駅前には上の画像の「東田子浦驛開設記念碑」が設置されています。他の駅でも良く見かける解字がかかれたものですが、駅自体の開業は戦後の1949年(昭和24年)ですし、碑文にも「昭和三十三年」の記述がありますので、そんなに古くないものであることがわかります。なお、題字は当時の吉原市長であった金子彦太郎氏とのことです。
なお碑文は他の駅の開設記念碑などと同様、開設までの経緯や関係者への畏敬の念が記述されています。この駅の場合は駅のすぐそばにある増田衣料工業等複数の会社の経営や、旧吉原市の教育委員長を歴任されていた増田貞蔵氏や、元代議士の加藤雄一氏らの私財の寄付や不断の努力によって、着工から半年で旅客営業を開始したようです。
百人一首舞台巡り・・・してみたいような・・・めんどくさいような・・・
- 2016/01/17(日) 15:00:00|
- 駅前モニュメント
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ということで高知にも行ったわけですが、なんか食ったんすか?といわれても・・・元日だったんで晩飯食うのにも一苦労ですよ。一人で居酒屋入って酒飲むような金銭的余裕はないのですが、居酒屋以外の店なんて元日にやってないって!ということでなんとかラーメン屋を見つけて入ることに。
入ったのはチェーン店「
総本家しなとら」の帯屋町店でした。チェーン店といっても多くの店舗があるわけではなく、なぜか岐阜県と高知県に多く店があるようです。関東には藤沢に一軒あるようですね。さてメニューを見て注文するものを決めようとしたのですが、メニューについていたパウチされた紙がついており、一部店舗限定と書いてあったのであえて釣られることにしました。

頼んだのは「ゆず塩豚トロらーめん」(650円)でした。高知県でゆずが有名であることは、
これを飲んでいるので知っていましたが、一部店舗というのは高知県内(もしくは四国)のみなのかと思い、注文しました。一応ゆず胡椒とか入っているみたいですが、普通にゆずの皮が入っているのがわかると思います。
肝心の味の方ですが、豚トロは大分良いですね。普通のチャーシューにはない味なのでこれはGOOD。スープは背油が浮いていますが基本的には塩ラーメンなので大分アッサリ。いや人によっては薄いと感じるかも。麺は縮れ麺をだったのですが、これはストレート麺に変えることもできる・・・と思うのでなんとも。まぁ、普通の製麺所で作っている生麺ですね。そしてゆずについてですが・・・
苦!そりゃそうだ、皮が入っているんだもの。苦いさ。う~ん、これは薬味なのか、飾りなのか・・・ゆずだけで食べるのは苦くて私には厳しかったです。
ということで限定モノを食べたのですが、普通の一般メニューを食べてみないとなんとも言えないですね。
- 2016/01/15(金) 09:00:00|
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行って来たのは愛媛だけではありません。高知にもいってまいりました。ということで今回は高知県の中心であるJR土讃線高知駅前のモニュメントを紹介します。なお、モニュメントは全て南口ロータリーにあるものです。ちなみに私はこれで四国4県の県庁所在地を制覇したことになりますね。

まずは大きく聳え立つ、土佐藩出身の幕末志士像3体です。え~っと左から大森南朋さん、福山雅治さん、上川隆也さんです。え?違う?あ、そっかそっか。改めまして、左から武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎の像です。設置されたのは割りと最近で、大河ドラマ『龍馬伝』の放映後とのことです。設置されている場所は駅前広場なのですが、この一帯は観光施設の管理区域になっているのか、訪問した早朝はロープが張られており、これ以上近づくことが出来ませんでした。ちなみにこの像は割りと簡単に移設できるようになっており、
台風が来ると別の場所で保管されたり、他のイベント会場で展示されることもあるようです。ちなみに坂本龍馬像は以前
京急立会川駅の記事でも紹介しましたが、結構日本のあちこちに設置されています。合計何体あるんでしょうかねぇ・・・

駅前電停の左側となる駅前交差点の隅には、魅惑の石碑ゾーンが設けられています。

目立つものから紹介していきますが、まずは「啄木の父 石川一禎終焉の地」と題された、石川一禎・啄木親子の歌碑です。説明によれば、石川一禎は啄木同様岩手県に住んでいたのですが、次女とちの夫・山本千三郎が神戸鉄道局高知出張所長として赴任する際に一禎もここに移住し、そのまま所長官舎で最期を迎えたそうです。そんな縁もあって親子の石碑が2009年に設置されたとのことです。

次に目立つのは高知駅周辺土地区画整理事業竣工記念碑です。まぁよくある竣工記念碑ですね。ちなみにこの石碑エリアにはもう一つ・・・

高知駅周辺都市整備着工記念の定礎碑がありました。この2つは異なる整備事業でしょうか?そうすると高知駅前って結構頻繁に再開発していることになるのでしょうかね。

ちなみに真ん中のヤシの木にも説明の石碑がありましたが、これは朝鮮民主主義人民共和国からの帰国者が帰国記念に植樹したものだそうです。

最後は高知県育ちの故・やなせたかし先生の絵本・アニメ『アンパンマン』のキャラクター像です。交差点を渡ったところに設置されています。画像左から、ショムニ課の徳永あずささん、プリン、フリーザ様、ブルマさん、小山田真希さんです。え、違う?いやいや、中の人は同じですよ(笑)。ちなみに高知駅の列車接近メロディーは『アンパンマンのマーチ』になっており、街全体がアンパンマンづくしになっています。

おまけ。駅構内には、ガラス室に監禁されているアンパンマンが!でも
石神井の「いなげや」にいたのより元気そうに見える・・・
- 2016/01/12(火) 18:00:00|
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続いても愛媛県松山市からですが、JR予讃線浅海駅前のモニュメントを紹介します。この駅は松山市の端にある小さな無人駅で、ここから高松方の駅は今治市になります。

一応、柑橘系果物がいっぱい採れる愛媛らしいものかしら?ここには尾上又次郎翁と忽那小太郎翁という2名の頌徳碑が設置されています。裏の説明の記述から察するに、正式名称は「浅海果樹振興功労者頌徳碑」の可能性が高いです。
順を追って説明していきますが、一人目の尾上又次郎翁は1872年(明治5年)に生まれた人物で、この方が柑橘系果樹の栽培をこの地(番所が平)で始めたことをきっかけに、周辺住民もこぞって果樹栽培を始めたため、浅海地区の柑橘地帯形成の創始者と言われているそうです。二人目の忽那小太郎翁は1896年(明治29年)に生まれた人物で、伊予果物同業組合支部長、浅海村果樹技術員、浅海農協青果部長、北条市農協第一撰果場長を歴任した人物であり、浅海駅開業における陰の功労者として称えられているようです。
物凄いローカルな石碑ではありますが、我々他の地域の人々が食べているみかん・いよかんがこの地区で栽培されたものであるならば、この両名がいなければ食べることは出来なかったのですね。そう考えると恩恵を受けている人々は少なくないように思えますね。
- 2016/01/10(日) 15:00:00|
- 駅前モニュメント
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四国いったんだからうどんを食いたい・・・と思ったものの、訪問したのは年末年始の休暇シーズン。そりゃあうどん屋も休みますよ。ということで結局1回しかうどんは食べられませんでした。なお、食べたお店は松山駅そばの「かけはし」さんでした。流石に駅そば屋は大晦日に行ってもやってますよねぇ。

普段はそば屋・うどん屋では「かけ」しか注文しないのですが、ここのお店は「じゃこ天うどん」(500円)が有名らしかったので、大人しく従うことにしました。ちなみに画像にはげそ天が写っていますが、これは完全におまけです。そりゃあ、ちくわ天と同じ値段(100円)ならこれ頼むでしょう。「はなまるうどん」ではげそ天の方が高いですから。
さて、肝心の味の方ですが、うどんは讃岐うどんのようなコシが強い、もしくはもちもちっとしているものを期待していたのですが、それほどでもなく、(稲庭などとは流石に違いますが)割と普通のうどんでした。じゃこ天についてですが、これは大きさも結構なものですが、厚さも思っていたよりあり、食べ応えがありました。じゃこ天自体は最近になって東京のスーパーでも取り扱いが増えてきたのですが、そこで3枚100円くらいで売られているのはペラッペラのものがほとんど。ここのじゃこ天は流石本場といったような感じの厚さでした。
ということで松山を訪問された際には、「じゃこ天うどん」食べてみてはいかがでしょうか?なお、この店には「じゃこかつ」なるメニューもあるので、今度行く機会があったら食べてみたいです。
- 2016/01/08(金) 09:00:00|
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一応ちゃんと予定通り帰ってきました。無事に?いや、夜行バスにやられまくったので無事ではなかったのですが(笑)

んで、何してたのという話ですが、今回は四国の西側をうろうろしておりました。そのあたりで明らかに挙動不審で怪しい人を見かけた方、それ私です(笑)。ということで今回は愛媛県の県庁所在地・松山市の玄関である、JR予讃線松山駅前のモニュメントを紹介します。ちなみに”松山”という駅は台湾にもあるらしく、姉妹提携しているようです。

まずは駅舎を出て左手にある、「春や昔 十五万石の 城下哉」という、俳人・正岡子規の句碑です。松山信用金庫創立50周年を記念して設置されたもののようです。

ここには2種類の説明がありましたが、松山はどうやら”俳都”なんだそうですね。これによれば、この句が詠まれたのは子規が日清戦争の従軍記者として戦地に赴く直前の1895年(明治28年)であり、その年からみると、十五万石であった松平定行がいた年は「春や昔」ということなのだそうです。へぇ。

続いては上の句碑の近くにあった戦後50周年を記念して設置された平和・人権尊重モニュメントです。画像の部分には「平和を誓う松山」という標語が書かれていますが、これ以外の面には「非核平和宣言都市」「人権尊重宣言都市」の記述があります。なおデザインは甲子園出場でも有名な済美高校美術科の生徒であり、平和を大切にする松山の街を五感で感じ取ってもらうべく、耳・目・鼻・口がデザインされているようです。

続いては駅舎を出て右手を進んだロータリーの反対側にある、「石鎚も 南瓜の花も 大いなり」という、俳誌「若葉」の主宰であった俳人・富安風生の歌碑です。説明によればこの句は、風生が逓信次官を退官して初めて愛媛県の新居浜に着いたときに、愛媛の第一印象として「南国伊予の明るい大らかさ」を詠んだもののようです。なお、この石碑の文字は風生の自筆を複写しているとのこと。

こいつは駅前じゃなくて構内にいたのですが・・・ゆるキャラ「バリィさん」の像です。あれ、おまいさん今治市じゃなかったっけ?と思ったのですが、”伊予観光大使”らしいです(ずるっ!)。ちなみに私は「
バリィさんのいまばり弁講座」をなぜ東京MXテレビでやっているのか(しかもいろいろと豪華)、気になって仕方がありません。
- 2016/01/05(火) 22:30:00|
- 駅前モニュメント
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無事、遠方から帰還しました・・・といいたいところですが、ここはいつも通り安全策の予約投稿で行きましょう(笑)。帰ってきていても疲労困憊でくたばってるかもしれませんからね(笑)

ということで今回は、東武日光線の終点である栃木県日光市の東武日光駅前のモニュメントを紹介します。あ、一応ここも訪問したのは2015年12月です。まず一つ目に紹介するのは駅舎正面にある「ようこそ 世界遺産のまち 日光へ」と書かれた石碑です。1999年にユネスコの文化遺産として、日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺の二社一寺が「日光の寺社」として登録されました。この関係かわかりませんが、私が訪問したこの日も、世界各地から多くの観光客が来ており、日本人よりも外国人観光客の方が多いんじゃないかというくらいでした。

次はロータリーの奥にある「日光山志」の挿絵が記載された石碑です。この絵は葛飾北斎門下の花菱斎北雅によるもので、「日光入口東町凡長十四五町許」というタイトルのような記載があります。説明によれば当時この場所には木戸門が設置されており、参詣人の居住地を訊問していたようです。また、左には番屋と高札堤があったという記録もあり、日光の入口として重要な場所だったそうです。この点は今も昔も変わっていないですね。

次は一番最初の石碑の隣にある蛇口の付いた岩。コップがあるのでなんとなくわかると思いますが、この蛇口からは飲み水が出ます。説明はボロボロになっちゃっていますが、「日本一の水です 日光の思い出に水のおいしさを加えて下さい」と書かれています。

次は駅の隣のバスターミナルの壁(JR日光駅との中間くらいの場所)に設置されている、「JR新宿・東武日光直通特急列車乗入れ記念」と題された壁画です。絵には東武の100系「スペーシア」と、JRの「日光」「きぬがわ」用485系が描かれていました。スペーシアの方はまだ現役ですが、485系の方は予備の189系「彩野」ともども、既にその座を253系1000番台に譲っております。485系が東武線内を走っていたというのもなんだかんだ短かったのですが、こんなところにしっかりと功績を残しているんですね。ちなみに壁画に文章の記述がありますが、これは記念プレートの宣伝文が書かれています。

最後は一応、モニュメントではない普段私は紹介していない”ただの岩”なのですが、ここの駅前のシンボルみたいな存在なので紹介します。これは駅前の噴水とその中にある大岩です。特にこれに関する説明はなかったのですが、「日光の滝」という日光に存在するいくつかの滝を紹介する地図が設置されていたので、これは「滝があるんだぞ」というPRのために設置されている・・・と思いたい(水出てなかったんで実際滝みたいなのかはさっぱりわかりませんでした)。
そんなこんなで今年一発目の記事でしたが、次回は行って来た遠方の記事を書けたらいいなと思っています(この記事を書いてる今はまだ行ってないどころか、仕事納めすら迎えていないけど)。
- 2016/01/03(日) 14:00:00|
- 駅前モニュメント
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