ローカル牛丼紀行・・・、今日は新宿新南口から。
新宿駅新南口を出て2ブロックくらい進んだところにドコモショップがあるのですが、その2件となりのビルの1階に「たつ屋」というお店があります。看板に「since1969」と書かれているので、47年前から存在しているようです(ヴェルディと同じ年か・・・)。お店の外観も撮ろうと思ったのですが、いかんせん新宿であり人が多かったことに加え、店の前が著しく狭かったため断念しました。
そしてこちらが肝心の「牛どん」です。並盛で1杯350円なので、松屋より少し安いです。ちなみにちょっと前までは280円だったとか・・・。特徴としては、焼き豆腐が2つ入っていること。なんとなく吉野家で以前売られていた牛鍋丼に近い感じです。肉の味付けですが、しょうゆ味が少し濃く、他社より少ししょっぱいように思えました。塩気好きにはたまらんかもしれないですね。総じて評価すれば、価格相応・一般的といったところでしょうか?
ちなみにこの「たつ屋」は以前東京の他の場所にも店舗を出していたようですが、今は新宿のこのお店だけが残存しているようです。「
■丼太郎 」が代々木から撤退してしまった今、この界隈で残るローカル牛丼屋はここくらいですかね。がんばって欲しいものです。
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2016/10/30(日) 15:00:00 |
食いもん
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前回の記事 の後半戦ということで、引き続きJR・三陸鉄道釜石駅前のモニュメントを紹介します。
ここには地元に縁のある作家の故・井上ひさし氏が作詞した歌の歌碑が設置されています。
石碑は中央に説明があり、左が釜石小学校校歌「いきいき生きる」、右が井上氏の代表作の一つである「ひょっこりひょうたん島」のテーマソングの歌碑となっています。井上氏と釜石市の関わりですが、かつて母と兄がここに住んでいたことから、母の屋台を手伝ったり、国立釜石診療所や釜石市立図書館で働いていたことがそれのようです。そんな井上氏の歌碑が設置された理由としては、前回の記事の「復興の鐘」同様。東日本大震災による被災からの復興を願うためということであり、特に釜石小学校の校歌「いきいき生きる」はその内容から、避難所として使用された小学校で歌われて被災者を励ましていたという経緯があるようです。
また、上の石碑の左には、サケの銅像?が3匹付いた案内板が設置されています。
更に、駅前のポストには同じ
釜石線の遠野駅 同様に、ポストの上にサケのモニュメントが設置されています。釜石は片岸川にサケが遡上するようで、サケ漁が盛んに行われているようです。地元の名物をこんなところで宣伝しています。
最後は三陸鉄道の駅舎の横に設置されている、「巨大なラグビーボールと猫選手」のモニュメントです。特にタイトルの記述は無かったのですが、
こちらのページ に「巨大なラグビーボールと猫選手」とありましたので、それがタイトルかもしれません。ちなみにこれは東日本大震災で被災した三陸鉄道を応援するために、募金を集めて制作したもののようです。実際に除幕式は、三陸鉄道南リアス線の全線再開通式典が行われた2014年(平成26年)4月5日に行われたようで、モデルとなっている地元のラグビーチーム”
釜石シーウェイブス ”の選手も参加したそうです。ちなみに2019年の
ラグビーワールドカップ は日本開催ですが、この釜石も開催地の一つになっています。ラグビーボールの部分は金色のプレートが張られているのですが、これは募金の寄付者の名前が書かれているとのこと。神社のお祭りで寄付者を掲示しているのに似ている気がします。
2回を通して、震災の関連のモニュメントが多かったと思いました。私自身311以降津波の被害が大きかった場所を訪問するのはここが初めてだったので、復興へ大きな力を注いでいることがよくわかりました。
2016/10/28(金) 08:00:00 |
駅前モニュメント
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今回は岩手県釜石市の中心である、JR・三陸鉄道釜石駅前のモニュメントを紹介します。ボリュームが大きかったので、2回に分けて紹介しようと思います。
まずはロータリーの中に設置されている銅製の鐘。鐘のモニュメントは
JR鹿児島本線玉名駅 にもありましたが、あちらは地元のお寺のPRという意味がありました。ここの鐘は「復興の鐘」と題されており、東日本大震災で被災した方々の復興を願う意味合いで設置されているようです。近くには説明の石碑があり、お花が添えられていました。実際この釜石駅一帯も津波が到達したエリアであり、震災後は瓦礫や泥などが散らばっていたものと思われます。しかしこのモニュメントの設置は震災の年の大晦日だったみたいなので、割と早くに駅前を整備しなおしたのでしょうね。
次は地元の名士の像。画像にも写っているように、駅舎の向かいには新日鉄住金の釜石製鉄所があるのですが、駅前にはこの地で製鉄を始めた大島高任の銅像が設置されています。大島高任がこの地で洋式高炉を設置したのは1858年(安政4年)のことであり、明治維新よりも前に近代製鉄が行われたということは知りませんでした。ちなみにこの石碑の説明文については、全く同じ文章が
新日鉄住金のホームページ にもありますので、そちらを参照いただければ画像よりも読みやすいと思います。
次も大島高任に関係するものですが、「ものづくりの灯を永遠に」というモニュメントが設置されています。アーチの最上部には灯かりが灯されており、下には高任の曾孫である大島夏江氏によって書かれた文字が貼られている石碑が設置されています。これは製鉄開始から150年を記念して設置されたものだそうで、協賛企業を見る限り新日鉄のみならず他の製鉄会社、釜石に拠点を構える会社が協力して設置されたものであることがわかります。ちなみに灯かりの火は釜石製鉄所の高炉から取り出した火を使用しているとのことです。
上のモニュメントの左には「鉄と共に!!」というタイトルの近代製鉄発祥150周年宣言文がありました。これは実際に2007年(平成19年)12月1日に開催された記念式典にて参加者によって宣言された文なのだそうです。ここまで製鉄関連のモニュメントが沢山あると、釜石という街が古くから製鉄によって栄えてきたところだというのが、おなか一杯になるくらい分かりますね。
後半へ続く─
2016/10/25(火) 18:00:00 |
駅前モニュメント
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今回は最近ちょっと話題になっているところから。磯部温泉の最寄駅である、群馬県安中市のJR信越本線磯部駅前のモニュメントを紹介します。上の画像は駅前に設置されている”歓迎”のゲートです。温泉地とかではよく見かけるものですね。さて、ここが話題になっている理由ですが・・・
東京オリンピック開催を前に、温泉記号を諸外国でも使用しているものに変更することに、磯部温泉の方々が難色を示しているからです。この磯部温泉は”日本最古の温泉記号発祥の地”であり、駅前にはそのことを示す石碑が設置されています。今の温泉記号は湯気が上に昇っていますが、昔は斜めになっていたんですね。なんかクラゲみたい・・・エノキにも見えなくない・・・。もし温泉記号が変わってしまったら、日本独自で育ってきた記号がなくなってしまうことになりますからねぇ・・・複雑な問題です。
次はギザギザな造形の石碑。タイトルは「恐妻碑」です。この画像では読めないのですが、
安中市のホームぺージ によれば、タイトルの下には「恐妻とは愛妻のいわれなり」という、九代目NHK会長であった阿部真之介氏の言葉が刻まれているようです。阿部氏はこの温泉が好きでたびたび訪れており、ここで「恐妻そば」なるものを食べていたようです。現在は「恐妻そば」は提供されていないので、どんなものなのかは正直分かりません。
ちなみに私がここの駅前をウロウロしている最中、ずっとこの猫が私を追いかけてきていました。何かこの仔に対して悪いことをした覚えはないのだが・・・なぜだろう。
2016/10/23(日) 14:00:00 |
駅前モニュメント
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なんか限定らしいものを見つけました。
サッポロビールが提供している「LAGER'S HIGH 芳醇のどごし」という第三のビールです。限定醸造ということですが、そもそも「”LAGER'S HIGH”なんてブランドあったっけ?」なんて思ったのですが、どうやらイオングループ限定で販売されているブランドとのことです。なるほど、これを購入した場所が久々に買い物に行ったイオンだったので、他のお店でばかり買い物していては、今まで見かけなかったわけです。”LAGER”と付いているのでラガーっぽい味がするのかしら
(後ろになんか赤い星が写っている様にも見えますが、気のせいです) 。原材料のところを見ると、どうやらアルコール度数が7%のようです。
色が赤っぽく写ってしまいましたが、実際には普通のビールの色であり、琥珀系の色ではありません。まぁ、見た目は至って普通。味の方は、一口目は先入観かもしれませんが、たしかにラガーっぽい苦味が感じられたかも。ただし、やはり第三のビールであるため、深みが弱い。二口目、三口目になると味があまり感じられなくなってきます。アルコール度数の高さで苦味を出しているのでしょうか。一方で製法からラガーである赤い星の方は二口目、三口目でも深みが感じられるので、やはりホンモノは違うんでしょうなぁ。
まぁ単純に、苦味が好みでコストを抑えたい人向けですかね。
2016/10/21(金) 09:00:00 |
飲料
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今回は福島県いわき市の、JR常磐線四ツ倉駅前のモニュメントを紹介します。ここはいわき市発足前には四倉町という町の玄関であったため、現在もそこそこ利用者が多くいます。そういえばE531系が常磐線に導入される前は、上野発四ツ倉行きの普通列車なんてのもありましたね。
駅舎のすぐ横には「ようこそ亀の町よつくらへ」と書かれた時計台と、大きな亀の石像が設置されています。なんというか、乗っかって記念撮影が出来そうです(笑)。ちなみに四倉地区が亀の町と呼ばれている由縁は2つあり、1つがこの辺りがウミガメの産卵が見られる北限であることのようです。そしてもう1つが「浦島太郎」の生地がこの辺りであり、物語のベースとなった場所という説があることです。どうやらこの町の下仁井田地区の諏訪神社がある辺りに、仁井田重兵衛という人の屋敷がかつてあり、そこが生地だといわれているようです。ちなみにこの駅を訪問してからやたらと白髪が増えた気がするのですが、玉手箱の効果がまだ残っていたのかしら・・・
次は亀の像の横辺りに設置されている「記念碑」と書かれた石碑です。あまりに古すぎるせいなのか、頭の部分が大分欠けてしまっています。碑文については漢文になっているため非常に読みにくいのですが、冒頭部分に「常磐線設停車場」と刻まれているので、駅開設を記念した石碑であることが分かります。ちなみに四ツ倉駅の開業は1897年(明治30年)であり、開業時に石碑が設置されたのであればこの石碑も約120年前に設置されたことになります。そりゃぁどこかのタイミングで欠けるわけだ。
次はロータリー側に設置されている、太鼓を持った踊り子が描かれたステンレスパネル群です。説明書きによればこれはお盆の時期に新盆の家を回る「じゃんがら念佛」の姿をデザインしているものだそうです。「じゃんがら念佛」はこの地出身の名僧・祐天上人によって広められたといわれており、現在も地区の青年に引き継がれているとか。ちなみに私がここを訪問したのは8月14日であったため、駅近くの海嶽寺から太鼓と鐘の音がずーっと聴こえていたのですが、「じゃんがら念佛」を演奏していたのでしょうかね。ちなみに祐天上人は東横線ユーザーなら名前から分かるかと思いますが”祐天寺”を開山した人物であり、生地である四ツ倉には、最勝院に分骨が両親と共に眠っているとのことです。
2016/10/18(火) 18:00:00 |
駅前モニュメント
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こちらのニュース によりますと、大井川鐵道の新金谷駅構内で保存されている、日本ナショナルトラスト保有の蒸気機関車C12形164号機が、動態復元に向けて両者で合意されたということです。この機関車はATSの関連で運用離脱し、かつボイラーに不具合が見つかったことから休車扱いとなり、2005年より新金谷駅にて保存されていました。基本的にこの機関車は転車台に置かれているらしいのですが、2年前に新金谷を訪問した際には丁度営業運転に使用されているSLが転車台を使用するため、側線まで移動させられていました。というか、これを撮影した時点では、この機関車も営業に使用されているものと思っていました(笑)
そんなわけで今回は、大井川鐵道の本拠地がある、静岡県島田市の新金谷駅前のモニュメントを紹介します。
まずは駅の広場に設置されている転轍機です。転轍機は線路の分岐部分に設置される切替機みたいなものですが、最近は電動の転轍機が主流となっているため、このように切替用のレバーが付いたものはめっきり見かけなくなってしまいました。強いて言うならば、プラレールの分岐レールに残っていますかね(笑)。ちなみにこの転轍機には「山内工場」と書かれていますが、どこのことなんでしょう?なお、同じく転轍機を駅前に保存しているところとして
JR太多線可児駅 も該当しますが、そちらは標識はあるものの信号システムと連動する数段階進歩したものでしたので、やはり手動レバー付きのものは貴重なものと言えるでしょう。
次も駅前広場にあるもので、ベンチなのですがSLの動輪みたいなものが脚に使用されています。大井川鐵道では現在東海道本線との乗換駅である金谷駅にはSL列車は乗り入れないため、観光客は新金谷駅までSL接続のシャトル便または車でやってきて、SL列車に乗降するようになっています。そのため駅前をSLカラーで染めるように、このようなベンチが整備しているのでしょう。ベンチの脚にはスマイルとかいろいろ付属しているのですが、SLの発着駅らしく、実際にSLで使用されている加減弁(ボイラで発生した蒸気を走り装置(シリンダ)へ送るための弁装置)が付けられており、説明書きなども用意されていました。
なお、私がこのとき新金谷で本当に撮影したかったのは・・・
あぁ、車内からじゃ当然うまく撮影なんか出来ないよねぇ・・・。約14年半ぶりの再会だったのに・・・
2016/10/16(日) 15:00:00 |
駅前モニュメント
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米沢 からもう1ネタ。折角ここまできたんだから米沢牛食いてーなーと思うものの。やっぱりステーキなんかは高くて食えない。なんとか牛肉食えねーかなーと思っていたら、良い感じのところが。
米沢駅の駅弁「牛肉どまん中」を販売している
新杵屋 の系列である、喫茶店「マレット」で手ごろなメニューを食べることが出来るという。メニューとしてはハンバーグやカレーといった、割と簡単なものを注文することが出来ます。
実は訪問日の朝少し体調が悪かったので、ボリュームが大きそうなハンバーグは断念。カレーにすることにしました。サラダとラッキョウが付いて、700円というのはまあまあ手ごろなお値段でうれしいです。カレーについてですが、「どうせ切り落とし肉が3切れくらい入っているだけかな」と思っていたのですが、とんでもない。ブロックの肉が結構ごろごろ入っていました。というよりも。ビーフカレーの牛肉って切り落とし肉じゃないんですね・・・という、実に寂しい感じに囚われた私(笑)。
ステーキやすき焼きは高くて手が出ないけど、折角米沢に来たのだから・・・と同じように思われる方がいらっしゃいましたら、ここをお勧めしますので、ちょっと寄ってみてください。
2016/10/14(金) 09:00:00 |
食いもん
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今回は四国の松山から。伊予鉄高浜線、城北線、大手町線が乗り入れる、古町駅前のモニュメントを紹介します。古町駅は鉄道線と軌道線の乗換駅であり、
松山市 とは違い駅構内での乗換が可能となっています。また、駅には鉄道線と軌道線両方の車庫が併設されており、伊予鉄道のいろいろな車両が停まっているのを見ることが出来ます。あ、1枚目に写ってる3000系、おもいっきり”KEIO”ってステッカーの跡が運転席の後ろに残ってるじゃんか(笑)
ここの駅前にはサイズは小さいのですが、同じく伊予鉄沿線の松山市駅や
平井駅 の前に設置されているのと同様に、地元縁の正岡子規の句碑が設置されています。裏面の説明によれば、この句が詠まれたのは1892年(明治25年)のことだそうですが、既にこのとき古町駅は開業しており、高浜線は全通していたそうです。古町とは萱町から城北までの一帯を指し、当時は商人でにぎわっていたそうなので、この駅も古くから栄えていたのでしょうね。ちなみに外側地区は今の中心部である、一番町の辺りを指すそうで、伊予鉄開業後に街の商業地が今の場所へ移っていったことがなんとなくわかります。
ところで、正岡子規の句碑は松山市内に全部でいくつあるんだろう・・・
2016/10/09(日) 15:00:00 |
駅前モニュメント
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今回はうどんのお話。といっても香川県ではありません。
埼玉県加須市の
松井産業 で製造されている「加須手ぼしうどん」という乾麺です。加須市はうどんの街として知られており、市民には自分でうどんを打てる人もいるので、スーパーなどではうどん粉を販売しているのを結構見かけます。しかし今回紹介するのは工場で生産された乾麺です。加須のうどんは自分で打つか店で食べるかがメインなので、外販しているものは多くありませんが、唯一松井産業だけはギフトセットなどを含む外販モノを数種類製造しています。今回紹介するのはその中でも一番オーソドックスな、「手ぼしうどん」です。これは加須のイトーヨーカ堂では1本120円くらいで売られているものです。
茹で時間は10分くらい・・・茹で上がりはこんなかん・・・いつも通り具が多くて麺が見えない(笑)
麺を出してみましょう(シイタケが邪魔だな・・・)。まぁ、基本的には一般的に流通している乾麺と大差はありません。強いて特徴を挙げるとするならば、安物の乾麺とは違い長めに煮込んでもコシがあることと、麺の表面がツルツルしているので食べやすい(口の中に運びやすい)ことですかね。同じ乾麺の稲庭うどんほど目立った特徴ではありませんが、乾麺の特徴は太さくらいしかないですからねぇ・・・。まぁ、埼玉産小麦をしようということなので、それが最大の特徴ですかね。
ちなみにこのうどんの上位に「御膳」というのがあり、若干値段が高く設定されています。見た目では違いがよくわからないのですが、わかる人にはわかるのかしら・・・
2016/10/07(金) 09:00:00 |
食いもん
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今回は415回目ということで、415系が来る場所を・・・。ということで福岡県北九州市小倉南区にある、JR日豊本線下曽根駅前のモニュメントを紹介します。常磐線じゃなくてごめんね。
ここの南口ロータリーには下曽根駅南口土地区画整理事業の竣工記念である時計台が設置されています。南口周辺は西友やエディオンなどの大型店舗が林立しており、比較的最近整備されたところであることが分かります。ちなみにこの時計台は説明書きがあったので土地区画整理事業に関するものだということが分かったのですが、この説明書きの裏側は「竣工記念」とでっかく書かれていて分かりやすかったです。ちなみに時計台は1つの柱についているだけなのですが、面白いのはその周りにある柱と四角い何か。ハエトリ棒か?それともチーズフォンデュ食うときのやつか?はたまたお金が無くておやつとして指に引っ付いた砂糖を舐めようとしているのか?(そんなことするのは私だけかw)モデルがなんなのかよくわかりません。なお、設置者はおそらく区画整理実施業者の住宅都市整備公団・・・
あ、またこの公団か・・・
余談ですが、私がこの下曽根駅まで乗ってきた415系は、このFo-520編成でした。この編成はもともとJR東日本の常磐線・水戸線で使用されていた編成でしたが、運用離脱後にJR九州に譲渡されて今も活躍しています。もともとJR九州に所属していた415系とは異なり、転落防止幌が設置されているため見分けはつきやすいです。JR九州にはこの他にも、鋼製の500番台が1編成、ステンレスの1500番台1編成が、JR東日本から転入して活躍しています。
2016/10/02(日) 15:00:00 |
駅前モニュメント
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