
ちょっとぶりの長電から。今回は京都大本山妙心寺開祖の関山無相大師の生誕地らしい、長野県中野市の中心である信州中の駅前のモニュメントを紹介します。ちなみに上の櫓みたいなものは、東口ロータリーの隅っこにあります。関山無相大師こと関山慧玄(かんざんえげん)は生誕こそここですが、鎌倉の建長寺や京都の大徳寺を経て、妙心寺を開山したとのこと。つまりここには関山無相大師の関連施設はないようなので、この櫓は妙心寺をモチーフにしているのでしょうか?

次はロータリー内部にある「PRELUDE(前奏曲)」というタイトルのモニュメントです。ステンレス製の三日月みたいなものに、リボンみたいなものが巻きついたデザインです。説明としては「光と緑の交響都市中野市の新たなる飛翔を祈念して」と書かれているのみなので、デザインの意味は深くはわからず。ちなみに作者は塩尻市出身の芸術家・守屋行彬氏で、実はこの作品は「PRELUDE2」であり、初代「PRELUDE」は
愛知県東海市の大池公園にあるようです。

次は上のモニュメントの隣に設置されている、少女が母親と思しき女性の肩をたたいている銅像です。近くの説明によれば、この銅像は童謡「肩たたき」の作曲者である中山晋平の出身地が中野市(旧・新野村)であることと、親子の情愛を深めて欲しいという願いを結びつけて設置されたものとのこと。ちなみに中山晋平は作詞家の野口雨情とコンビを組むことが多く、ちょっと前に同じ長電の須坂駅の記事で紹介した「
須坂小唄」や、「シャボン玉」などの有名な同様もそのコンビによって作られたものだそうです。ちなみに長野県出身ということもあり、須坂以外にも中山晋平は県内で新民謡を多く作っているようです。

次は西口ロータリーの内部にある、日時計型モニュメントです。日時計とは日光によって生じる影の向きによって時間を計るというものであり、モニュメントの最上部は北を向いています。ただ、撮影した日は天気が曇りだったので、影が生じず時間の確認をすることはできませんでした。説明に「精密に造られています」と書かれていても、日光が出ていないのではねぇ・・・

最後は中野駅南土地区画整理事業の竣工記念碑です。他のところでもよく見かける駅前区画整理の竣工記念碑で、裏面には事業の概要と関係者の名前が書かれています。しかし個人的に気になるのは、事業の名前が”南”であること。確かに駅の南かもしれませんが、跨線橋の通路名は”東西”になっているので、方角の扱いがバラバラになっています。私としては南というよりも西という方がしっくりきますね。
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- 2017/11/28(火) 18:00:00|
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あんまり久しぶりでもありませんが、11月12日にまたまたチャリンコを漕いで、京急空港線穴守稲荷駅の「コンちゃん」に会いに行ってきました。
【参考:過去のコンちゃん】
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第1回・
第2回・
第3回・
第4回・
第5回・
第6回・
第7回・
第8回・
第9回・
第10回・
第11回・
第12回・
第13回・
第14回・
第15回・
第16回 前回は9月2日だったので、2ヶ月くらい経ちました。2ヶ月で随分気温も下がってきましたが、今回の衣装はどうでしょう。

今回は紫色の服を着ていました。紫色の服を着ていたところは、今まで一度も見たことがありませんでしたので、おニューの服なのでしょう。それよりも気になるのは、服の上からかけられているタスキ。「火災予防運動実施中」と書かれていますが、地元の消防署か消防団がかけたのでしょうか?確かにこれからの時期の東京は、降水量も減って空気が乾燥し、空っ風が吹くので火災が発生・延焼しやすくなってきます。我が家の近所でも、そろそろ火の用心の掛け声が聞こえてくるころですかね。ちなみに今回のお供えは、そろそろ出荷量が増えてきたみかんと・・・・・・え・・・から揚げ?まさか隣のセブンイレブンで誰かが買って置いて行ったのでしょうか。いや、流石につまみ食いはしないよ(笑)

ちなみに今回穴守稲荷に行った目的は、上の画像の都営車を撮影するためです。待っていたらここでは撮影したことが無かった京急1000形1800番台も偶然やってきました。10月のダイヤ改正で都営車による南エアポート急行の運用が出来たと聞き、確認のために行きました。都営車のエアポート急行自体は都心方面の列車の設定はありましたが、横浜方面の設定は今回が初めて。朝に京急に入ったっきり、夜まで浅草線には戻らない運用のようです。京急蒲田以南で日中に京急車以外の列車が走るのは何時ぶりですかね。今後はしばらくこの運用を随所で追ってみましょうか。
- 2017/11/26(日) 15:00:00|
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この時以来の甘くないチューハイ探し。ベストを尽くすべく、PB商品も調査しますよ。

今回エントリーするのは、まいばすけっとで買った合同酒精の「DRY STRONG CHU-HI」と、トップで買ったCGCのPB商品である「DRY酎ハイSTRONG」です。「THE DRY」よりもアルコール度数が1%と高い8%になっていますが、誤差の範囲ですかね。原材料については、前者はウォッカ主体で果汁なし、後者は醸造用アルコール主体で果汁ありとなっている模様。ちなみに後者の製造メーカーは宝酒造らしいです。でもレモンスピリッツは使っていないみたいなので、以前紹介した「
果実のキレ」とは違うようです。

注いでみたところ、色の透明度は同じくらいのようです。味についてですが・・・「DRY STRONG CHU-HI」は、1口目こそ「おお!」と思うのですが、飲み続けているとアルコール臭さが強いことが気になりますかね。レモンの味も薄い(香料が入っているくらい?)ので「THE DRY」とは少し遠いかもしれないですね。一方「DRY酎ハイSTRONG」の方は、1口目のレモンの味がちょっと強いかなとも思いましたが、「果実のキレ」よりは「THE DRY」には近そうです。でもなんとなくこちらもアルコール臭さが気になるような、ならないような・・・でも「DRY STRONG CHU-HI」ほどではないですね。
とりあえず今のところ後継者第1位は「DRY酎ハイSTRONG」に変更かな~・・・
- 2017/11/24(金) 09:00:00|
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今回はちょっと前の
新白河駅の記事と同様に、積み残しがあった場所の残りを紹介。栃木県那須塩原市の、JR東北新幹線・宇都宮線那須塩原駅前のモニュメントを紹介します。以前に
西口のモニュメントを紹介しましたが、東口のモニュメントがまだだったので、新白河と同じ日に再訪問しました。

まずは大きく聳え立つ、「平和の塔」というモニュメントです。4面にそれぞれ異なる文面の短文が書かれており、上部には4面すべてに「ここが地球の真中です」と書かれています。短文も「みどりゆたかな文化都市 黒磯 この地球皆んなで守ろういつまでも」「僕らがこれから地球を守るんだ」「地球はみんなの希望の光」「世界は一つ相乗共生」「世界の平和は日本の平和 皆んなで守ろうこの地球」というような、スローガンみたいな文面になっています。設置者は大原間尋常高等小学校の卒業生とのことですが、この小学校は現在の那須塩原市立大原間小学校であり、記載の名称が使用されていたのは戦前だったようなので、戦争を知っている世代の方が平和を願って設置したものなのでしょう。

次はロータリーの端に設置されている「不迷」というタイトルの、かなり古そうな石碑です。これだけではよくわかりませんが、本分のはじめにサブタイトルのようなものがあり、そこには「東那須野停車場開設記念碑」と書かれており、裏面には設置の日付として、「明治三十七年三月十日」と書かれていました。簡単に言えば、那須塩原駅が旧名・東那須野駅として、1898年(明治31年)に開業したことを記念して設置された石碑ですね。同様の石碑は日本のあちこちにありますが、2つとなりの
野崎駅や
西武東村山駅にも同時期に設置されたかなり古い開設記念の石碑がありましたね。

そんでもって上の石碑の隣に設置されているのが「昭和五十七年六月二十三日」に設置された「新幹線開通記念碑」です。こちらには「昭和五十七年六月二十三日を以って八十三年の歴史をもった東那須野駅名が消え那須塩原駅となる」と書かれている通り、現在の那須塩原という駅名は新幹線開業時につけられた名前なのですが、何時の間にやら所在地の市の名前にまで発展してしまいました。地名というのはいろいろと変わると言いますが・・・ねぇ・・・
ちなみに前の記事で紹介した西口の「さわやかなみどり」の銅像は撤去されてしまっていました。他は一応現存を確認しています。
- 2017/11/21(火) 18:00:00|
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今回は今年の夏に訪問した、石川県羽咋市にあるJR七尾線千路駅前のモニュメントを紹介します。上の画像は駅の盛土部分の草を刈って「ちじ」の文字にした草文字です。

駅前には小さな祠が一つあります。どれくらい小さい祠なのかは、後ろのホース格納箱とミラー(柱しか映っていない)を見ればわかると思いますが、かがんだ状態で撮影しても祠の中がわからないくらい小さいものです。この手の祠は道祖神かお稲荷様であることが多いのですが、手前に設置されている陶器の像は、なんとなくキキララに見えるような・・・。ちなみにこの祠、面白いことにGoogleの地図では「
千路町小祠」という寺院として表示されています。流石に寺院ではないだろう・・・

ちなみにここの駅の横には「ふれあい花壇」という千路老人クラブによって整備されている花壇があり、中には上の画像のように橋を模したものも設置されているのですが、その一画に・・・

「となりのトトロ」の砂像が設置されていました。砂なのでこれは常設のモニュメントではないのかな?でも私がここを訪問する前に大雨が何日か続いていた地区だったので、雨ごときでは壊れない仕様になっているようです。トトロの下にいるのは「まっくろくろすけ」かな?でもまわりのすすが無いと、ぷよぷよに見えてしまいます・・・。これについて少し調べてみたら、どうやら設置されたのは今年の6月で、砂像クリエーターの古永健雄氏の慣習のもとで老人クラブの方々が製作したようです。表面は水性のりで固めているのだそうですが、それだけで雨に耐えられるものなのかは疑問が残ります。なお、駅前での砂絵制作は去年も実施していたということなので、やはり期間限定で設置されているもののようですね。ひょっとすると3ヶ月経った今は既に撤去されてしまっているかもしれないですね。でもそれならば来年は何か別の砂像ができるのかな?少しそんな期待をしてしまいます(・・・あ、これは北山形、穴守稲荷パターンだ・・・)。
- 2017/11/19(日) 15:00:00|
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今回はこのお店で買ってきたもののお話。え、何時北海道行ったんだって?いやいやいや、北海道まで行く暇も金も無いですよ。ここを訪問したのは
前回の記事と同じで、夏に水郡線に乗りに行ったときです。以前何度か話題には上げましたが、北海道でお馴染みのコンビニ「セイコーマート」は埼玉県と茨城県の2県にも店舗展開しています。今回訪問したのは水郡線静駅のすぐ近くにある、瓜連店でした。お店の中は北海道のお店と同様に、セイコーマートのPB商品が陳列されています。そんな中今回記事にするのは・・・

まぁ、おなじみですよね。ガラナです。しかしこのガラナは今まで見たことは無いですね。北海道のセイコーマートでは
丸善市町の「ガラナエール」か、PBの
「ガラナサワー」がありましたけども。その後にPBのガラナも販売するようになったのでしょうか?まさか関東圏限定?

製造元の表記は無く、販売者としてセイコーマートの運営会社であるセコマが書かれているのみです。原材料にははちみつが無いのでガラナエールとは異なるもののよう。むしろガラナサワーの原材料に醸造用アルコールが無いくらいの差なので、製造元は同じ日本アスパラガスでしょうか?味についてですが、メッツガラナに近いか?でも後味はコアップに近いかもしれないです。しばらくメッツガラナ飲んでないからなぁ・・・。まぁ、どのみち色の時点でコアップガラナやガラナエールとは別物であることがわかります。
ちなみに茨城のお店にも「ソフトカツゲン」はありましたね。飲んだことが無いので気になってはいるのですが、紙パック製品なので買って持って帰ってくることはできず。流石にその場で500ml飲み干すのもなぁ・・・
- 2017/11/17(金) 09:00:00|
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今回は茨城県久慈郡大子町の中心である、JR水郡線常陸大子駅前のモニュメントを紹介します。水郡線はこの駅で折り返す列車が結構あり、ここから北の越境区間は列車本数が少なくなります。

まずは駅前で大きく目立っている蒸気機関車、C12形187号機です。説明によればこの機関車は1938年(昭和13年)に製造されてから約30年間は、九州の各機関区を転属してすごしていたようですが、最後の3年に突然遠く離れた水戸機関区に転属となり、1970年(昭和45年)の水郡線無煙化まで活躍していたようです。引退後はそのまま水郡線沿線であるここに設置されてきたようですが、年月が経過している割には状態は良好に見えます。駅前だからか、大子町の維持管理が徹底されているからかわかりませんが、地元の方々に大切にされているのがわかりますね。

次は「根本正」という人物の胸像です。説明によればこの人物は、1851年(嘉永4年)に那珂群五台村東木倉に生まれ、1898年(明治31年)に衆議院議員に当選後、教育問題に取り組んだほか、水郡線の開通に尽力したとのこと。当初の計画では郡山ではなく、白川と水戸を結ぶ白水線という路線計画だったようですね。大子町では小学校や神社に像が設置されていたようですが、太平洋戦争の金属供出でなくなってしまい、1969年(昭和44年)にようやく胸像が再建されてここに設置されたようです。前回の
東北本線有壁駅の胸像も議員さんでしたが、やっぱり議員が鉄道を引くのはどこでも、何時の時代でも変わらないんですねぇ・・・

次は駅舎の正面に設置されている噴水の彫刻ですが、名称などの詳細情報は一切ありませんでした。イメージとしては人なのでしょうけど、袖から手が出ていないのでなんとなくクリオネみたいに見えてしまいます。それにしても、噴水というには小さすぎますかね。なんだかちょろちょろ出ていて迫力が無いです。
- 2017/11/14(火) 18:00:00|
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最近中部地方や都内、福島県ばかりだったので、ちょっと違う地域のものを記事にしましょうか。今回は宮城県栗原市にある、JR東北本線有壁駅前のモニュメントを紹介します。東北本線は北上していくと石越-油島で一度宮城県から岩手県に入りますが、清水原-有壁で再度宮城県に入り、有壁-一ノ関で再び岩手県に入るという、ちょっと複雑なルートを通っています。

そんな宮城県の飛び地になっている有壁駅は、かつては宿場町があったところになりますが、普通列車のみ停車の無人駅に鳴っています。駅前は小さい広場が整備されていますが、その端のほうに人の胸像が設置されています。まぁ、こういうのがあったら大体地元の名士の像ですよね・・・

土台の説明書きによれば、モデルとなっている佐藤庄助氏は、旧有壁宿本陣(江戸時代に身分の高い人が休息するために設けられた公的な施設)の本陣職を担っていた佐藤家の人物で、県議会議員を経て衆議院議員となり、有壁駅設置に貢献した人物とのこと。有壁駅の開業は1924年(大正13年)ですが、この像は1974年(昭和47年)に駅開業50周年を記念して設置されたもののようです。ちなみに隣の清水原駅は昭和に入ってから設置された駅であることから、この駅開業前は花泉-一ノ関に駅がなかったため、冒頭に記述したような県境またぎの駅配置はありませんでした。しかし駅は無くとも線路は通っていましたし、もともと宿場町があった場所なので、当時の駅設置の要望は結構強かったのでしょうね。だから、駅設置に尽力した像を置くということが実現したのではないでしょうか。
- 2017/11/12(日) 15:00:00|
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前回の記事で長野県飯田市のJR川路駅前のモニュメントを紹介しましたが、丁度そこを訪問した時間がお昼ごはんのタイミングだったで、近くを散策することに。駅前にセブンイレブンがあるので最悪そこで買えばいいやと思いつつ歩き出したら、すぐにお店を発見。

ダイニング&カフェ「Kawajiキッチン」という、ちょっとお洒落なお店が駅前にありました。まぁ、地方の無人駅ですし、他にお店もなさそうなので入店決定。お店に入るとお昼時ということもありますが、店内はほぼ満席状態。家族連れの人などが結構多く入店していました。

そんな中注文したのは「なすの揚げびたしパスタ」。こういうお店って、パスタ1皿でも結構するよね・・・(これも900円超えでした)。同じ値段のものは他にもありましたが、数日旅に出ていて野菜不足だったので、せめて茄子くらい食べたいなと思い注文しました。茄子については衣があるのかとも思ったのですが、素揚げで入っていました。天ぷらやフライなどの揚げものですと結構重量級になりますが、素揚げだったので結構さっぱりしており、非常に食べやすくてGoodでした。ソースの味は醤油ベースの味であり、上手い具合に和風テイストに仕上がっていましたね。
値段はまぁパスタ屋さんなので、一般的なのかもしれませんが、お店の立地や1皿のボリュームを考えると丁度良いくらいかなと思いました。お昼時に混む理由もなんとなくわかったような気がします。あとどうでもいいことですが・・・素揚げって結構良い調理法ですね・・・・・・
- 2017/11/10(金) 09:00:00|
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もういっちょ長野県から。と言っても長電ではなく、夏に訪問した南信からですが。今回は飯田市にあるJR飯田線川路駅前のモニュメントを紹介します。

この駅は無人駅ですが、駅前には大きなロータリー・広場が整備されています。一つ目はその駅舎よりのところに設置されている「天竜川上流部 川路・龍江・竜丘地区治水対策事業 完成記念」と書かれた石碑です。裏面には「新生の大地 いま歩み出す新しい歴史」と書かれています。飯田線のこの辺りは天竜川に沿って線路が敷設されているのですが、龍江というのは対岸の地区の名前になります。この石碑がある理由としては、「三六災(昭和36年梅雨前線豪雨)」の治水対策によって飯田線の線路が付け替えられ、駅が2001年(平成13年)にここへ移設されたことが挙げられます。ちなみに治水対策のきっかけとなったのは、ここよりも下流にある泰阜村の泰阜ダムであり、水力発電ダム完成以降水害が多発しており、「三六災」で大きな被害に見舞われたことのようです。

こちらは比較的道路よりにある石碑。「川流不息乾坤清泰」と刻まれています。裏面には説明がありましたが、それによればこの石碑も先ほどのものと同様に、治水対策の功績を称え、後世継承をしていくために設置されているもののようです。「平成十五年三月吉日」とあるので、これは駅移転から2年経ったころに設置されたもののようです。表面が漢字だけなので、もう少し古いかと思っていました。

次も道路よりのところにある、「時によりすぐれば民のなげきなり 八大龍王雨やめたまへ」という、鎌倉幕府第3代征夷大将軍・源実朝の歌碑です。源実朝は将軍職に加え、歌人としても有名であり、百人一首にも歌が選ばれています。歌碑の隣には説明の石碑がありましたが、それによればこの歌碑も水害に関するものとのこと。しかしこれは先述の2つの石碑とは異なり、1980年(昭和55年)に移転前の川路駅前に設置されたものであり、駅移転と共にここへ移設されたものとのこと。こちらも水害を後世に伝えるべく、わざわざ移設を行ったのでしょうね。
今でこそ環境影響評価が法制化されましたが、ダム建設当時はそのような概念が無かったというのも、水害発生の大きな要因だったのでしょう。この石碑群はそんなことを物語っているようにも思えます。
- 2017/11/07(火) 18:00:00|
- 駅前モニュメント
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もう一つ長電から。今回は中野市にある長野線延徳駅前のモニュメントを紹介します。この駅のある場所は、昔は延徳村という独立した村だったようです。

ここの駅は普通列車しか停車しない無人駅ですが、駅前には広場が整備されています。その広場の中心には銅像が乗っているステンレス製の時計台が設置されています。銅像は帽子を被った少女がステンレスの柱に腰を掛け、縦笛を吹いている様を表現しています。スピーカーがついているようですが、時間になったら何か流れるのかな?ちなみにタイトルはなんだろうと思って近くの石碑を見たら・・・

「」
・・・おいおい、久々にやられたよ。ステンレス板に説明があったのでしょうけど、綺麗サッパリ読めなくなっています。今までもこういう事例はあり、なんとか跡から判読できたこともあったのですが、今回のはそれも無理でした。いやはや、ちゃんと維持して欲しいものですな。


次は駅前ロータリーの入り口付近に設置されている「農業集落排水事業記念碑」です。裏面には事業の関係者と思われる人物名が並ぶと共に、「ナピア延徳分碑」と書かれています。「ナピア延徳」とは
中野市のホームページによれば、農業集落排水用の下水処理施設の名称のようです。この石碑はその施設が完成したことを記念して設置されたのかなと推測できますが、実は「ナピア延徳」はこの近くではなく、どちらかというと隣の桜沢駅のほうが近いような場所にあるのです。ちなみに施設の近辺には、エノキやエリンギなどのきのこの人工培養施設がたくさんあり、中野市はその生産量が日本一とも言われているようです。そして題字下の「元中野市議会議長 荻原勉」氏は、その内の
有限会社えんとく培養センターの代表取締役のようです。こういうことから私は、この施設の竣工を駅の利用者に知らせるべく、わざわざここの駅前に石碑を設置したのではないかと捉えています。桜沢駅よりも延徳駅のほうが利用者も多いらしいんでね・・・目立たせたかったのでしょう。
- 2017/11/05(日) 15:00:00|
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今回の話は
前回の記事でさりげなくスルーしている・・・

こいつの話。

長野電鉄3500系です。見たらわかる人もいると思いますが、元は営団地下鉄(現・東京メトロ)日比谷線で活躍していた”マッコウクジラ”こと3000系です。東京の地下を離れて長野に来ましたが、路線の廃線や老朽化により、徐々に姿を消してきました。しかしながら現在も2連が5本、3連が1本残っており、信州中野-湯田中を中心に使用されています。

今回は唯一残存する3連のL2編成に乗ることができましたので、車内も撮影することに。営団時代の小窓で開くときに「ドゴォン」とでかい音がする”爆弾ドア”も健在。東京ではもう小窓爆弾ドアは7000系くらいしか残らなくなっちゃいましたからねぇ。つり革には「東急百貨店」の広告がありますが、これは東京時代のままではなく、「ながの」とちゃんと入っているので、譲渡時に製作されたものなのでしょう。さらに、扇風機には営団地下鉄のSマークが残存していました。これは昔からずっと使用しているのでしょうね。

そんな3500系も東急8500系の譲渡により置き換えが進められてきました(どちらも東横線を走っていた形式なので、再会といった見方も・・・)。そんな代替の8500系はブレーキの関係で信州中野から先の急勾配区間には入線できないため、同区間の普通列車は3500系しか使用できない状態が続いています。しかし3500系の老朽化は進んでいるため、地域連携長野電鉄長野線沿線活性化協議会によれば今後2019年から2021年度くらいまでに置き換えを進めていく計画があるようです。

となると代替はなんだという話になりますが、3000系の故郷である日比谷線では後輩の03系が続々引退中です。一部怪しげな搬出がされている車両もあるようですが、5ドア車は今のところ全部解体されています。3ドア車は多くが残っていますが、2020年までの置き換え計画になっているので、種車が最後まで残っているかどうか微妙なところです。そうすると今後2020系の導入で廃車になりそうな東急8500系に、急勾配用のブレーキ改造を施して入線させるというのもあるのでしょうかねぇ。

そしてもう一方、同じく日比谷線草創期を支えた東急7000系は・・・現在も東京を走行中。そればかりか無料乗車デーなんかもやられちゃっていました(笑)。こちらは昔置き換えの話があったものの、相変わらず頓挫している模様で今後の計画は聞かれません。いつまで使用されるんでしょうかね。
- 2017/11/03(金) 09:00:00|
- 鉄道
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