
ストックがあるからしばらくネタには・・・とか思っていたのですが、訪問時からいろいろ増えたりしている駅前が結構あるんですね・・・。ということで今回は周辺環境は変わったものの、特段モニュメントが増えていないらしい広島県広島市安佐北区にあるJR可部線可部駅のモニュメントを紹介します。ちなみに訪問時は上のような国鉄形が走っていて行き止まりの駅だったのですが、現在は新型に置き換わったことに加え、廃止された区間が復活して中間駅となりました。

そんな可部駅はメインロータリーのある西口と、裏側の東口の2か所があります。まずは西口のものなのですが、ここは上の画像のような感じに整備されています。左側のやつ・・・目立ちますよね。

とりあえず噴水みたいなところに説明書きがありましたので、読んでみましょう。ふむふむ、それによればこれらのモニュメント可部の名物である「名水」「山まゆ織」「鋳物」ことに加え、”古くから栄えた街”であることを知ってもらうために設置された物なのだとか。まずは上の噴水みたいなものですが、これは流水塔で、「名水」と「古くから栄えた街」をPRするもの。地下水を利用しているようですが、そのポンプには広島市内で考案された津田式のものを使用しています。形状は昔ながらの町家の切り妻屋根を表現しているのだそうです。そして広場にある樫の木(それもモニュメントの一部だったのか!)は、山まゆ織の天蚕で使用されるヤママユガの蚕の餌として使用されている植物なのだそうです。

そして上の画像で目立っていた左側のものですが、これは「鋳物」をPRするために設置された”大羽釜”と”五右衛門風呂釜”(逆さま状態で設置)とのこと。「地元企業の協賛」と書かれていますが、釜に書かれている
大和重工株式会社は浴槽やかまどを製造している会社であり、現在も羽釜や五右衛門風呂釜を製造・販売しているようです。そして
同社ホームページのニュースリリースでも、このモニュメントが設置された当時の記事が掲載されています。流水塔の裏には協賛者の記載がありましたが、当然ながらこの会社が筆頭になっていましたね。

そして「敷石に埋め込まれた銘板には日本で最初に可部・横川間を走ったバスが描かれている」とありますが、それが上の銘板。これについては、レプリカが設置されていることを以前
横川駅の記事でも紹介しましたね。

ついでに流水塔の手前にある”池”と呼ばれる部分の真ん中には、方位が書かれた印が設置されています。でもこれについては説明は特になし。

ところ変わって東口。こちらは住宅がすぐに差し迫っており、駐輪場と駐車場があるだけの狭隘な広場となっています。ここの広場と路地の間に歩行者用の階段があるのですが、その両脇の植え込みに階段を挟むように上の画像の五重塔と石灯篭が設置されています。石灯篭は日本全国あちこち(特に島根辺り)で見かけますが、五重塔はそんなに見かけないですね。これくらいのサイズのものは、過去にも北海道の
JR本輪西駅くらいでしか見かけたことはないです。こういう庭用の五重塔も、石灯篭同様結構流通しているものなのでしょうかねぇ・・・
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- 2020/05/31(日) 03:00:00|
- 駅前モニュメント
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さて、今回のヤクは・・・(もう栄養ドリンク系の記事を書くのが当たり前になってきました)

チェリオの「めがぱち」というエナジードリンクです。もう歌舞伎っぽい見た目が最強です(笑)。ちなみにローソンストア100で税抜き100円で売られている商品です。

名前は目がぱっちりする→めがぱちのようで、強炭酸、強刺激と書かれており、ピリピリ感、スースー感が感じられる仕様。ちなみに成分はカフェイン130mg、アルギニン300mgと書かれているのですが、「この製品は1本あたり130mgのカフェインが含まれています。」という説明書きがあるので、1本(250ml)あたりの量であることがわかります。つまり100ml当たりの量に直すと、カフェイン52mg、アルギニン120mgになります。アルギニンはレッドブルとおなじ量ですが、カフェインは1.625倍。しかし今まで紹介してきたものの方がヤバい量のものだったので、名前のわりにおとなしいかなという印象。

注いだらこんな感じ。色は
タムラ活性「リキセイスパークリング」や、
宝積飲料「ENERGY BOMBER」などと同じく、よくあるエナジードリンクのそれと似ています。味について、これは実は割とよく飲んでいるものなのですが・・・改めてのむとちょっと辛いな。荒れている唇が少し痛い・・・でも液体自体は甘いところもあるので、ヒリヒリするだけと言われればそうかも。
ちなみにローソンストア100でも売っていないところはあります。しかし、イオンで見かけたこともあるので、どこで売られているのか・・・。あとはチェリオの自販機や、安売り自販機で見かけたことも。見かけたら買ってみてはいかがでしょう。
- 2020/05/24(日) 03:00:00|
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国府津駅の記事からだいぶ飛びましたが、西湘地区からもう1つ。今回は東海道新幹線も乗り入れる、JR東海道本線、小田急小田原線、箱根登山鉄道線、伊豆箱根鉄道大雄山線の、小田原駅前のモニュメントを紹介します。

まずは新幹線側の西口にある、一番わかりやすいやつ。小田原といえば小田原城、小田原城といえば北条早雲。ということでここには、戦国武将・北条早雲の銅像があります。北条早雲はもともと備中国の生まれであるといわれており、伊勢盛時という名を名乗っていました。そののちに早雲庵伊勢宗瑞を名乗るようになったのですが、実際に北条の姓を名乗り始めたのは二代目の氏綱からであり、”北条早雲”という名はその後遡って呼ばれるようになったものなのだとか。ちなみに表記によって名字が北条であったり、旧字体の北條であったりするのですが、ここの像は北條に統一されていますね。また、設置は小田原の市制50周年を記念して1990年(平成2年)4月とのことですが、これはちょっと意外ですかね。こういう地元の武将の像は、新幹線開業と同時に設置されることが多いかなと思っていましたので・・・。

ところ変わって商店街側の東口から。ここには石碑が1つあります。1つ目は「小田原高等学校発祥之地」です。小田原高校は現在、駅の西側の八幡山にありますが、もともとは駅のあるこの場所で1900年(明治33年)に神奈川県第二中学校として開校したとのこと。しかし東海道本線の小田原駅開業に伴い、現在の位置へ移転することになったようです。鉄道の開業によって学校が移転する例は
JR西船橋駅や
西武秩父駅などもあり、その際に学校があったことを石碑として残すことも珍しくありません。ただ、だいたいそういう学校は歴史があるからなのか、現存していることが多いというのがちょっと趣深いところです。

次は上の石碑の近くにある「揚土」「あげつち」と書かれた石碑です。揚土ってなんじゃいって思うかもしれませんが、説明がちゃんと用意されています。それによればここのもともとの地名であるらしく、由来は「小田原城三の丸の空堀を造成した時の土や、そこの流入した土砂をこの地に揚げて埋め立てたため」とのこと。そして小田原城の城門の一つである谷津口門があった場所でもあるようで、梅の栽培もされていたところだったようです。現在は「栄町」という地名なのですが、こういうかつての地名を示すものって、結構重要なもののような気がします。

なお、ロータリーの植え込みのところには、木でできたフクロウの小さな置物があります。花壇に人が入らないよう見張っているのかな?

次はペデストリアンデッキに設置されている、カリヨンの時計台です。まぁ、これは普通のカリヨンですかね。2005年11月に、小田原青色申告会が寄贈したもののようです。実際にカリヨンが鳴るのか、鳴るとしたらいつどのように鳴るのかは特段説明も無くわかりませんでした。地元の方、ご存知ですか?

最後は駅前なのか微妙なところですが、カリヨンの向かいの二宮金次郎像を紹介します。像自体は
しなの鉄道古間駅や
JR掛川駅、
天竜浜名湖鉄道原谷駅、
JR黒部宇奈月温泉駅(富山地鉄新黒部駅)、
嵯峨野観光鉄道トロッコ嵯峨駅に続いて6例目です。掛川市2駅以外は本人に縁はありませんでしたが、ここ小田原市(正しくは栢山地区)は二宮尊徳の生誕の地であるということで像があるようです。土台には「一日一字ずつ習えば 一年では三六五字となるぞ この小僧 譲って損なく 奪って益なし」という名言が書かれています。わしも家にいることが多いので、改めて字の勉強でもしようかな・・・
- 2020/05/17(日) 03:00:00|
- 駅前モニュメント
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今回は青森県上北郡野辺地町の玄関である、青い森鉄道とJR大湊線が乗り入れる野辺地駅前のモニュメントを紹介します。以前は南部縦貫鉄道のレールバスも乗り入れていました。

ここの駅前には・・・
どこかで見たことがあるようなものが設置されていました。書かれていますが「常夜燈」のモニュメントですね。灯篭は日本全国あちこちにありますが、ここのものは説明書きが用意されており、ちゃんと意味があるようです。それによれば、野辺地湊が江戸時代に、日本海航路の廻船が多く出入りしていたところであり、地元の廻船問屋である野村治三郎によって湊前に常夜燈が設置され、廻船の目印として使用されていたとか。実際に現在も灯篭は残されており、港の「常夜燈公園」に実物があります。このモニュメントはそのことを伝えるために設置されたレプリカということになりますね。現在は鉄道の要所ですが、昔から交通の要所だったことがわかりますね。

ちなみに上の画像にもちょこっと写っていますが、灯篭は2つ設置されています。そしてその間には線路のような歩道が整備されております。途中でクロスするような感じになっていますが、そこの交点が野辺地町観光物産PRセンターの出入り口前になっています。

おまけ。駅の中にも常夜燈のレプリカが設置されています。
- 2020/05/10(日) 03:00:00|
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”志村けん”
この名前を知らない人はあまりいないでしょう。子供のころは「だいじょぶだぁ」とか見るの楽しみだったなぁ・・・新型コロナウイルスで亡くなられたことが本当に残念です。そんなわけで今回は少し遅れましたが、追悼の意を込め・・・
あっかっまっむっし~を紹介しようと思います。「赤まむし」はよく志村けんさんと研ナオコさんのコントで、精力剤としてよく出てきたものです。テレビでは固有名詞を出せないのでラベルを張り替えていましたが、実物はこれでしょう。製造元は日興薬品工業という会社であり、赤いラベルのものや、「漢薬 赤まむしドリンク」など、いろいろ種類があります。個人的によく見かけるのはこの「純製 赤まむし」ですね。ディスカウントストアの大黒屋で売られています。

ちなみに原材料はぶどう糖液がメインであり、その点は他の栄養ドリンクと大差はなし。しかししっかりと「まむし抽出液」と書かれているので、「赤まむし」の名の通りではあるようです。ちなみに成分の関係で、”清涼飲料水”に分類されるものとなっており、その点は医薬部外品のリポDとか新グロモントとかとは異なります。

ちなみに中身はこんな感じ。普通の栄養ドリンクと大差はありません。味については普通の栄養ドリンクよりも少し薄めというか、甘めですかね。まむしの味は特段しませんね。というか、まむしってどんな味なんだ?
あ、忘れちゃいけない・・・

ん
なっまったっまっご~ もうこのコントが見られないのは本当に残念です。
- 2020/05/06(水) 15:00:00|
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今回は新潟県新発田市にある、JR羽越本線・白新線の新発田駅前のモニュメントを紹介します。

この駅は西側にのみ駅舎があるのですが、まずは連絡通路を超えた反対側のロータリーにあるものから紹介します。ここには上のような石碑とモニュメントがあります。

まずは後ろのモニュメントの方から。法被を着た子供たちの像の上に、金魚のモニュメントがあります。この金魚は「金魚台輪」というもので、
こちらの記事によれば、新発田の夏祭りで曳山として使用されるものがモデルになっているようです。この金魚は張子でできており、中にろうそくをともして灯篭として使用されるものとのことですが、なんとなく
>山口県柳井市の「金魚ちょうちん」に似ているところがありますね。

そしてその前に設置されている石碑は、新発田駅東土地区画整理事業の竣工記念碑です。裏面には施工期間が書かれていますが、「昭和52年度~平成8年度」とあります。西暦に直すと、1977年から1996年なので、19年もかかったことになります。区画整理ってそんなに長期間かかるものなのでしょうか?なにか特別な事情があったのかな・・・。ちなみに題字は”古山和風”という方が書いたもののようですが、どのような人物かよくわかりませんでした。地元の方でしょうか?

次は西口の斜め前にある、新発田駅前公園にあるものを紹介します。公園自体は広いのですが、今回は駅前のブロックのところものを紹介します。ここには胸像が1つあるのですが、タイトルとして「大倉鶴彦翁壽像」と書かれていますし、裏面の説明にもその名前が書かれています。一方ですぐ近くの説明の石碑には「大倉喜八郎像」と書かれています。大倉喜八郎は戦前の大倉財閥の創始者で、今も流れとしては大成建設やホテルオークラなどが残っていますが、この新発田市は大倉喜八郎の出身地であり、この場所も大倉製糸工場があった場所であることから、石碑が設置されることになったようです。肝心な名前が違う件ですが、喜八郎は狂歌(短歌の一種)の創作にも取り組んでおり、その時の名義として「鶴彦」を使用していたのだそうです。ちなみに幼名は「鶴吉」だったそうです。なぜ題字に「鶴彦」を選んだのかは気になるところですね。

次は胸像の後ろにある「大倉翁之墓銘」と題された古い石碑です。説明によれば1916年(大正5年)に大倉喜八郎が設置した、祖父の「定七」を称えるための石碑なのだそうです。この石碑は2つ作られ、1つは新発田市東公園に、もう1つは東京都港区の”大倉集古館”に設置されていたのですが、ここのものは大倉集古館改築時に移設したものなのだそうです。喜八郎自身も功績を残していますが、称えられている人物が人(祖父)を称える石碑を設置していたというのは興味深いところですね。

次は喜八郎が詠んだ狂歌の石碑です。「わたりきり うき世の橋の あとみれば 命にかけて あやうかりけり」と書かれているのですが、この歌は本来江戸時代の書家である本阿弥光悦の詠んだものなのだそうです。喜八郎が”書いた”この歌を石碑にしたのだとか。

最後は一応石碑があったので・・・記念植樹です。松かな?大倉喜八郎関連ばかりのものの中、記念植樹の石碑だけはちょっと浮いた感じになっちゃっていますね。
- 2020/05/03(日) 03:00:00|
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