850回目ということで、少し内容多めの記事を。今回は群馬県みどり市の、わたらせ渓谷鐵道大間々駅前のモニュメントを紹介します。大間々駅の歴史は古く、1911年(明治44年)に開業しており、以降町の中心駅としての役割を果たしてきました。ちなみに近くの
上毛電鉄・東武赤城駅も昔は”新大間々”という駅名でした。

まずは駅前広場の中で目立っているこちら。屋根が付いているところに桶のようなものが置かれ、その中にベンチが設けられています。説明書きが用意されているのですが、それによればこれは近くの醤油メーカーである、
株式会社岡直三郎商店から譲り受けた、100年以上醤油の醸造に使用されてきた桶であり、大間々地区の醸造文化を示すため、四阿(東屋)に使用されているのだそうです。内部のベンチには、「触ると醤油が付く場合もありますので、十分にご注意ください」という注意書きもありました。ちょっと触ってみましたが、、、醤油は特に付きませんでしたね。雨の日とか、染みて付いてしまうのでしょうか?

次は桶の奥に映っているこちらの車両。後ろにもう1両いるようですね。これはわたらせ渓谷鐵道の国鉄足尾線からの転換時に導入されたわ89-100形の101号機です。この形式は「LE-Car II」という、「レールバス」の類に属しているものの初期型になり、以前紹介した
いすみ鉄道いすみ200'型と同じ造りになっています。営業運転時は前面茶色の塗装となっていましたが、晩年にこの写真の塗装(登場時の塗装とのこと)に変更され、2013年(平成25年)に引退してから、この場所にて保存されているようです。ちなみに現役時代私は一度この車両に乗ったことがあり、それが初めてわたらせ渓谷鐵道を利用したときだったと覚えています。

次は奥の車両ですが、こちらはわ89-300形の302号です。こちらもわたらせ渓谷鐵道開業時に導入された車両ですが、小型である先述のわ89-100形と同形式のクロスシート版わ89-200形と比べ、観光客輸送に対応するために「LE-Car II」の上位版である「LE-DC」のタイプで導入されました。こちらは2015年(平成27年)に引退してからここで保存されているようですが、この形式の翌年に導入されたわ89-310形(前照灯の形状が異なるもの)はまだ現役であり、この日も私は1両営業運転に就いているところを見かけました。

次は広場と道路の境界辺りに設置されている、こちらの石碑。木の真下に設置されているので暗くて読みにくいのですが、「新路之碑」というタイトルのようです。本文はすべて漢文になっているので解読しにくい(というか、読む気にならなくなる・・・)のですが、冒頭に「足尾鐵道之開通・・・」ということで、わたらせ渓谷鐵道の前身の前身である、足尾鐵道が開通したことを記念して設置されたものであることがわかります。裏面には設置の寄附者の名前が書かれているほか、設置年も書かれていましたが、「大正元年八月建立」とありました。駅の開業の翌年に設置されたものであることがわかることに加え、貨物輸送を行うために早くから鉄道を敷設したという、足尾銅山の当時の重要さを知ることができますね。
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- 2023/03/26(日) 03:00:00|
- 駅前モニュメント
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ネタなくなってきたなーと思ったり、思わなかったり。今回はただの昼飯です。

秋葉原に行ってきた時の話です。ラーメンというよりも汁なし系が無性に食べたくなったので、油そばを食べることにしました。入店したのは都内を中心に店舗を展開している「春日亭」の秋葉原昭和通り口店です。「油姫」っていう萌えキャラ?がいるようですが・・・どうなん?こういうの。
さて入店したものの、このお店は「鳥豚油そば」をプッシュしていますが、見た目油がすごそうだったので、シンプルな「しょうゆ油そば」を注文することにしました。

出てきた油そばはこちら。麺だけでなくスープもついているのは珍しいところ。油そばはネギが多めですが、チャーシューやメンマといった定番の具があります。スープの味付けはオーソドックスな豚系の味ですかね。醤油味ということもあり、こてこての油そばよりはシンプルな味のように感じました。それでも、まぁ油そばだからそれなりに食べ応えはありましたけどね。
ちなみに秋葉原で食べましたが、いつの間にやら自由が丘にもお店ができていましたね。店舗拡大中なのでしょうか?
- 2023/03/19(日) 03:00:00|
- 食いもん
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今回は神奈川県相模原市南区にある、JR相模線原当麻駅のモニュメントを紹介します。”原当麻”と書いて”はらたいま”と読みます。クイズダービーに出てた漫画家さんじゃないですよ。

この駅は工場駅舎となっており、駅の東西にロータリーがあります。まずは東口ですが、こちらは広いロータリーの真ん中に、ステンレス製のモニュメントが設置されています。ダイヤのような四角形ですが、縦に筋のようなものが立っています。

こちらは裏面に回って撮影したもの。先ほどとは異なり、こちらは横に筋のようなものが立っています。表と裏で向きを変えているところに面白みがありますね。

ちなみにタイトルは「水」で、作者は林利根氏とのこと。林氏は女子美術大学の名誉教授であった彫刻家ですが、この駅が同大学の相模原キャンパスの最寄り駅であることから、林氏の作品が置かれたものと考えられます。

次は西口の方から。こちらのにも小さなロータリーがありますが、紹介するものは駅前の民家とアパートの間にあるこちらの祠。鳥居の上に○○稲荷とか名前が書いてあるパターンも結構ありますが、こちらのものは何も記述がありません。相模線沿線でもありますので、寒川神社の系統でしょうか?

最後はモニュメントというよりも看板ですが、「原当麻駅舎改築によせて」というものがありました。「原当麻駅は、昭和六年四月に開業し、以来、まちの移り変わりを見守ってきました。現在の駅舎は、地域住民の協力により、平成三年五月に改築されたものです。」という文と共に、関わった土地区画整理組合の一覧が記載されていました。そして何よりも目立つのが旧駅舎の写真!今の駅舎からは考えられないほど小さな駅舎だったんですね。非電化時代のキハ30系が映っているのも、時代を感じさせますね。
- 2023/03/12(日) 03:00:00|
- 駅前モニュメント
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この姉ケ崎の記事と
この姉ケ崎の記事の間に訪問した場所のお話。

「休日お出かけパス」を使用していたので、木更津から久留里線に乗ってきました。キハE130系になってから乗ったのは初めてかな?
キハ30系列時代に何回か乗ったことはありますが。

ということで今回は、千葉県君津市の俵田駅前のモニュメントを紹介します。俵田という地名は米俵からきているのでしょうか?上の画像は駅名標なのですが、足元にイネの絵が描かれており、形状もなんとなく稲穂っぽいものになっています。背景にも映っていますが、この辺りは田んぼも多いようです。

駅名標の隣にはこのようなものがあるのですが・・・もうどこが設置したのかすぐにわかります。2つ隣の
馬来田駅にもありましたが、ライオンズクラブが設置したものですね。こちらも時計台・・・だったのでしょうか?馬来田駅のものはLの字の上の部分に時計がありましたが、こちらは何もありません。なんとなく錆具合から察すると、時計が昔あったのではないかと私は考えています。

駅の利用者はあまり多くないようですが、駅前は広くスペースが取られています。その真ん中に石碑が2つ設置されています。

左の大きい方は「県営圃場整備事業 小櫃南部地区 竣工記念碑」とのこと。圃場・・・何と読むかは以前同じ房総半島の
いすみ鉄道城見ヶ丘駅で取り上げましたが、”ほじょう”と読みます。この石碑は小櫃南地区の田んぼが整備されたことを記念して設置されたものになります。かなり細かい説明も記されていますが、設置は「平成二年三月」とありますので、そんなに古い石碑ではないようです。ちなみに裏面には歴代役員名がたくさん記されていました。

並んで設置されているもう一方の石碑ですが、こちらは「小櫃土地改良之碑」と書かれています。内容としては隣の石碑と同じと思われますが、設置時期はこちらの方が古いのではないかと考えています。裏面に名に書かれているようでしたが、日が沈みかけていたので確認できず・・・

次は駅前の国道の「俵田」交差点にあるものですが、地蔵菩薩が彫られているような石柱が設置されています。足元の案内によれば、これは君津市により「二十一世紀への継承遺産」に選ばれている「久留里道(俵田の道標)」とのこと。横には説明書きも用意さえていましたが、それによればこれは1689年(元禄2年)に設置されたものであり、「是より北は江戸おか道」「是より西は江戸ふな道なり」と書かれている通り、実際に道標として使用されたものとのことです。加えて「ふな道」について説明しますが、当時この辺りは小櫃川が流れているため、そこで船に荷物を乗せ換えて江戸まで運ぶ風景が日常的にあったようです。
・・・個人的には後ろに見切れているトヨタ CENTURYが気になる・・・
- 2023/03/05(日) 03:00:00|
- 駅前モニュメント
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