こちらの記事によれば、愛知県新城市にあるJR飯田線湯谷温泉駅の駅舎が解体されるようです。

ということで今回はその湯谷温泉駅前のモニュメントを紹介します。この駅は1923年(大正12年)に鳳来寺鉄道の駅として開業した頃から駅舎で「湯谷ホテル」として営業を開始し、以降周辺が温泉街として発達して行ったそうです。駅の入り口には上の画像のような歓迎ゲートが設置されていますが、これは駅の敷地の外から撮影したものになります。ちなみに解体される駅舎は、画像右にわずかに映っている木造家屋です。

駅舎の角になっている部分には、上の画像の木製の像が設置されていました。右のオーバーオールを着た男性の方は髭を生やしていて杖をついているので、おじいさんでしょうか?すると左の小さい女の子はそのお孫さんをイメージしているのでしょうかね。駅舎のすぐ近くに設置されているので、この像も同時に解体されることになりそうです。なんだか残念ですね・・・

ちなみに駅舎の横にはこんな木造の塔みたいなものがあったり・・・

駐車場の入り口(隣の旅館「
はづ別館」さんと共用なのかな?)には「WELCOME」と彫られた木製の置物もありました。乗っかっている二匹の動物は、アライグマくんかな?

次からは駅斜め前の「湯谷集会所」という公共施設前にあるものになります。まずは「鳳液泉の碑」というかなり風化の進んだ石碑です。本文は漢文なのですが、ちゃんと説明書きが用意されています。それによればこの石碑は1798年(寛政10年)に、鳳来寺の歇堂という人物が立てたもののようで、本文には「鳳来寺の開祖である利修仙人がたびたびここの温泉に浸かって健康を維持したこと」や、「実は薬師如来の佛徳のおかげである」という旨の記述がされているようです。

そしてその隣には「安政六年二月」と書かれた立て看板がありました。”百姓は家業に専念しなさい”とか”博打や酒盛り、夜遊びは慎みなさい”とかの戒めが書かれているのかと思いきや、最後の方は”見目形のよい女房であっても夫のことを疎かにし、大茶物参りや遊山好きな女房は離別すること”という家庭にツッコンだ内容まで書かれていますね。安政六年と書かれていますが、木がなんだか綺麗なのが気になる・・・と思い、Googleのストリートビューで見たら、前は違う立て看板だったようで、集会所の建て直しをした際に作り直したようですね。

最後は集会所の入り口をはさんだ隣に設置された、2つの地蔵堂です。ちなみにストリートビューによれば右の地蔵堂のところに以前は安政六年の立て看板があったようです。ということは、右の地蔵堂は集会所の建て替え後に設置されたものなのでしょうね。右の地蔵堂の横に張り紙があり、お地蔵様の説明かと思ったのですが、「大野辺聞書」という1729年(享保14年)に成立した文庫の、「能登瀬村ノ温泉」というこの温泉について書かれた文が掲載されていました。
駅舎の解体は惜しいですが、地元自治会は足湯の整備などを求めているようなので、温泉街の玄関らしい駅になると良いなと思います。
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- 2019/07/24(水) 15:00:00|
- 駅前モニュメント
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こんにちは。。。
湯谷温泉駅が取り壊されるのですか・・・
湯谷温泉と言えば、忌野清志郎が愛した温泉らしくて、年に1回?、有志が集まってライブが行われるとか?!
見に行っておけば良かったぁ・・・
残念です。。。
お邪魔いたしました。。。
- 2019/07/24(水) 21:30:40 |
- URL |
- ViVid Mr.K #-
- [ 編集 ]
> こんにちは。。。
> 湯谷温泉駅が取り壊されるのですか・・・
> 湯谷温泉と言えば、忌野清志郎が愛した温泉らしくて、年に1回?、有志が集まってライブが行われるとか?!
> 見に行っておけば良かったぁ・・・
> 残念です。。。
> お邪魔いたしました。。。
こんばんは。
駅舎自体は開業時から使用しているみたいなので、
やはり老朽化は否めない状況なのでしょう。
むしろここまで長い間残っていたので、
大往生と言えるかもしれませんね。
- 2019/07/24(水) 21:34:23 |
- URL |
- カタばみ #-
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