国府津駅の記事からだいぶ飛びましたが、西湘地区からもう1つ。今回は東海道新幹線も乗り入れる、JR東海道本線、小田急小田原線、箱根登山鉄道線、伊豆箱根鉄道大雄山線の、小田原駅前のモニュメントを紹介します。

まずは新幹線側の西口にある、一番わかりやすいやつ。小田原といえば小田原城、小田原城といえば北条早雲。ということでここには、戦国武将・北条早雲の銅像があります。北条早雲はもともと備中国の生まれであるといわれており、伊勢盛時という名を名乗っていました。そののちに早雲庵伊勢宗瑞を名乗るようになったのですが、実際に北条の姓を名乗り始めたのは二代目の氏綱からであり、”北条早雲”という名はその後遡って呼ばれるようになったものなのだとか。ちなみに表記によって名字が北条であったり、旧字体の北條であったりするのですが、ここの像は北條に統一されていますね。また、設置は小田原の市制50周年を記念して1990年(平成2年)4月とのことですが、これはちょっと意外ですかね。こういう地元の武将の像は、新幹線開業と同時に設置されることが多いかなと思っていましたので・・・。

ところ変わって商店街側の東口から。ここには石碑が1つあります。1つ目は「小田原高等学校発祥之地」です。小田原高校は現在、駅の西側の八幡山にありますが、もともとは駅のあるこの場所で1900年(明治33年)に神奈川県第二中学校として開校したとのこと。しかし東海道本線の小田原駅開業に伴い、現在の位置へ移転することになったようです。鉄道の開業によって学校が移転する例は
JR西船橋駅や
西武秩父駅などもあり、その際に学校があったことを石碑として残すことも珍しくありません。ただ、だいたいそういう学校は歴史があるからなのか、現存していることが多いというのがちょっと趣深いところです。

次は上の石碑の近くにある「揚土」「あげつち」と書かれた石碑です。揚土ってなんじゃいって思うかもしれませんが、説明がちゃんと用意されています。それによればここのもともとの地名であるらしく、由来は「小田原城三の丸の空堀を造成した時の土や、そこの流入した土砂をこの地に揚げて埋め立てたため」とのこと。そして小田原城の城門の一つである谷津口門があった場所でもあるようで、梅の栽培もされていたところだったようです。現在は「栄町」という地名なのですが、こういうかつての地名を示すものって、結構重要なもののような気がします。

なお、ロータリーの植え込みのところには、木でできたフクロウの小さな置物があります。花壇に人が入らないよう見張っているのかな?

次はペデストリアンデッキに設置されている、カリヨンの時計台です。まぁ、これは普通のカリヨンですかね。2005年11月に、小田原青色申告会が寄贈したもののようです。実際にカリヨンが鳴るのか、鳴るとしたらいつどのように鳴るのかは特段説明も無くわかりませんでした。地元の方、ご存知ですか?

最後は駅前なのか微妙なところですが、カリヨンの向かいの二宮金次郎像を紹介します。像自体は
しなの鉄道古間駅や
JR掛川駅、
天竜浜名湖鉄道原谷駅、
JR黒部宇奈月温泉駅(富山地鉄新黒部駅)、
嵯峨野観光鉄道トロッコ嵯峨駅に続いて6例目です。掛川市2駅以外は本人に縁はありませんでしたが、ここ小田原市(正しくは栢山地区)は二宮尊徳の生誕の地であるということで像があるようです。土台には「一日一字ずつ習えば 一年では三六五字となるぞ この小僧 譲って損なく 奪って益なし」という名言が書かれています。わしも家にいることが多いので、改めて字の勉強でもしようかな・・・
スポンサーサイト
- 2020/05/17(日) 03:00:00|
- 駅前モニュメント
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
こんばんは。
戦国武将の像は、サマになっているものが多いですよね。
それなりにその武将のファンの方が作っているのかもしれませんね。
- 2020/05/18(月) 23:11:34 |
- URL |
- カタばみ #-
- [ 編集 ]