
今回も過去に訪問した場所から。今回はJR鹿児島本線荒尾駅前のモニュメントを紹介します。ちなみに同じ駅名が東海道本線美濃赤坂支線にあるので、きっぷには「(鹿)荒尾」と表示されます。ここは博多方面からくる快速の折り返し駅であり、隣の大牟田駅から市街地も続いていますが、もうここは熊本県になります。駅前には荒尾市の地図がありますが、上部には熊本県北部で作られている小代(しょうだい)焼と思しき陶器が設置されています。

駅舎側のものから紹介していきます。まずは古そうな石碑が2つ並んでいるところから。左側の石碑には「停車場設置記念」と書かれており、日付として「大正三年四月二十日」と書かれています。でも、実は荒尾駅の開業は違う日なんですよね。それをフォローしているのが右の小さいほうの石碑。こちらは「萬田驛開業紀念」「大正元年十一月一日」とあります。そう、こちらの方が正しい日付です。もともとこの駅は「万田」という駅名で1912年(大正元年)11月1日に鉄道院の駅として開業したのが始まりです。そう考えると左の石碑は何なのか、不思議で仕方ないです。

ちなみに石碑の隣には石灯篭。これも古そうですが、大正時代から設置されているものなのでしょうか?

次はお皿に文字を書いたようなモニュメントです。「汽車の音 汽車の音が 雨の音にまじつて 停車場についた」と書かれています。最初の「汽車の音」がタイトルの詩と思われますが、これは手前の石柱に書かれている通り、海達公子という詩人の詩碑です。「三号詩碑」と書かれているので、少なくともあと2つは存在することになります。

横には「文学のさんぽみち」という石碑・・・というか、文学散歩道の案内図がありました。ここにも海達公子の名があるのですが、この方は17歳で夭折された詩人で、ほとんどをこの荒尾市で過ごされた方とのことです。この荒尾駅は通学で使用していたため、このような詩が残っていたのでしょうね。

次は上のモニュメントの隣にある石碑なのですが、「緑化記念」と書かれています。これだけではわからないので、裏手見回ってみたら、説明書きがありました。どうやら1948年(昭和23年)に植樹を行った際に設置された石碑とのこと。ん、でもどの木の石碑なんだい?どう見ても石碑だけが単独で設置されているのですが、石碑だけ移設されたのか、それとも木がなくなってしまったのか・・・

最後にメインディッシュ。ロータリー内部のでっかいモニュメントなのですが、鉄骨のようなものが設置されています。これはここの近くに以前あった三井三池炭鉱の「万田坑第二竪坑櫓」を模したモニュメントのようです。説明によれば本物も1997年(平成9年)の閉山まで使用されていたため実在するようで、このモニュメントは実物の1/5の大きさで作られているようです。作成したのは国立有明工業高等専門学校の生徒の皆様とのこと。建設会社の協力があるのは致し方がないことではありますが、高専の生徒の方々でレプリカモニュメントを企画しまうというところで、携わった方々の技術力の高さが窺えるように思えます。
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- 2021/08/29(日) 03:00:00|
- 駅前モニュメント
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