
今回は「甲州鞍馬石の里」である、山梨県甲州市(旧・大和村)のJR中央本線甲斐大和駅前のモニュメントを紹介します。この駅は1903年(明治36年)開業時は数か月だけ中央本線の終点となっていました。なお、「甲州鞍馬石」とはこの辺りで採れる鉄錆色系の閃緑岩の一種で、庭園などに使用されるものです。

ここは
武田信玄の息子であり、甲斐武田家20代当主である武田勝頼の銅像が設置されています。武田勝頼は織田軍の侵攻から逃れ、武田氏とのゆかりのある天目山棲雲寺を目指していた途中、麓の田野村で滝川一益の追手に捕捉され自害したと言われています。なお、天目山はもともと木賊山と呼ばれ、第13代当主の武田信満が自害した場所でもあり、棲雲寺は信満が葬られている場所ということで武田氏とゆかりがあったようです。信満の自害後に当主不在になったことや、勝頼の没後甲斐武田氏の宗家が断絶したこともあり、「武田氏滅亡の地」と呼ばれることも多いようです。また、徳川家康の領になった後には、勝頼や家臣を弔うために田野村に景徳院というお寺が設置され、江戸時代に勝頼の墓も設けられています。なお、この像は2002年(平成14年)に大和村の村制60周年を記念して設置されたもののようですが、大和村はその3年後に合併で消滅してしまっていますので、ぎりぎりの周年記念だったことがわかります。

ちなみに駅前には「新初鹿野橋」という橋があるのですが、その橋柱が甲州鞍馬石で制作されていました。ちなみに「初鹿野」というのはこの辺りの地名であり、1941年(昭和16年)の大和村発足前までは初鹿野村という村がありました。当然駅の開業時も初鹿野村だった時代なので、もともとは駅名も「初鹿野」でした。現在の「甲斐大和」に駅名が変更されたのは、1993年(平成5年)と比較的最近のことだったんですよね。
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- 2021/11/14(日) 03:00:00|
- 駅前モニュメント
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