
今回は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の”那智”の方であるJR紀勢本線那智駅前のモニュメントを紹介します。この駅は(ちょっと遠いですが)熊野那智大社の最寄り駅であり、無人駅ながら大社を模した立派な駅舎が設けられています。

ここの駅前には2人の偉人を称える石碑が設置されています。まずは山口熊野という方のものから紹介します。このあたりの地域は熊野(くまの)と呼ばれていますが、この方の名前は熊野と書いて”ゆや”と読むそうです。山口氏は同じく現在那智勝浦町になっている浦神地区(6つ隣の紀伊浦神駅付近)出身であり、和歌山県議会議員や衆議院議員を歴任。衆議院議員時代に紀勢本線開通に注力し、実現させた人物ということで、1940年(昭和15年)にこの石碑が設置されたとのことです。ちなみに説明文には”紀勢線全通祝賀会を記念して”と記述されていますが、紀勢本線が亀山から和歌山まで全通したのは、1959年(昭和34年)なのは気のせいでしょうか・・・

2つ目は石造のサッカーボールが設置されていますが、こちらは「日本サッカーの始祖」と呼ばれている中村覚之助氏を称える石碑です。説明によれば中村氏は那智駅周辺の浜の宮地区出身であり、東京高等師範学校(現・筑波大学)在学中に「アソシエーションフットボール」を翻訳し、日本初のサッカー指導書の発刊、蹴球部の創設、試合の開催を行った人物とのことです。残念ながら中村氏は、現代ではまだ多くの選手が現役となる29歳という若さで急逝してしまったそうですが、没後95年程経った2002年(平成14年)に、和歌山文化協会第53回先覚文化功労者として顕彰され、石碑も設置されるようになったようです。ちなみに日本サッカー協会(JFA)のシンボルである八咫烏(ヤタガラス)は、中村氏が地元熊野の神社のシンボルであった八咫烏を推薦したことが要因とされているみたいです。へぇー、知らんかったのう。
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- 2015/04/25(土) 16:00:00|
- 駅前モニュメント
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