北海道ばかりでなく、道中に訪れたところも紹介しておきます。今回の旅では帰りに苫小牧→仙台でフェリーを使ったワープを行いました。ただし、仙台港の最寄り駅であるJR仙石線中野栄駅には何も無かったので、今回はその隣の多賀城駅前のモニュメントを紹介します。なお、訪問日は嵐のコンサートの日だったのですが、なぜか利府から離れたこの場所からもシャトルバスが出ていたため、かなり駅前が混雑していました。

まずは駅前ロータリーの内部に設置されている、「史都多賀城」と書かれたブロック積みのモニュメントと、「史跡のまち多賀城市」と書かれた櫓のモニュメントです。歴史の授業でも習うと思いますが、多賀城の町は奈良・平安時代に陸奥国府の中心地であり、城が設置されていました。もともとここにはその時代よりも前から人が住んでいた形跡があるらしく、市内にも遺跡などが結構あるとか。ただ、伊達氏が支配して以降は仙台が中心となったため、今では仙台のベッドタウンとしての位置づけの方が強くなってしまっています。

続いては櫓の下にある小さな石碑を2種。まずは「定礎」からですが、この文字は街中のビルでよく見かけると思います。この「定礎」は建物の土台となる礎石を定めた日付を記録するもののようで、建築の際には”定礎式”という式典を執り行うのだそうです。ここの場合は建物などは無かったので、この櫓の定礎の日付が書かれているものと思われます。
もう一方の石碑は、多賀城駅前の道路である「多賀城駅前線」が「人間道路会議賞」という賞を受賞したことを記念して設置されたものです。この賞は東北地方の中で、人・車・道の調和を実現している道路に贈られるものらしいです。詳しいことはよくわからないのですが、道路に贈っているという事は、他の場所も結構あるのかもしれませんね。

続いては2013年に設置された、多賀城市が「減災都市宣言」を宣言したことを記念して設置されたモニュメントです。この多賀城市も2011年3月11日の東日本大震災によって被災した都市であり、多くの方が亡くなっております。説明によれば、このモニュメントはそのことを後世に伝えるべく、円筒部分の高さが多賀城市に到達した津波の高さとおなじになっていて、円筒部分の一部には震災で亡くなられた方々の名前が格納されているとのことです。私は震災からこの日まで、実際に津波の被害を受けた東北の街を訪れることはほとんどなかったのですが、こういうモニュメントを見かけると、数年経っていてもあの地震があったことを思い出させてくれるような気がします。
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- 2015/10/06(火) 18:00:00|
- 駅前モニュメント
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こんばんは☆
わーい。
多賀城だ、多賀城だ…うれしいな☆
色々ありましたけれど、宮城県、がんばっております☆
栄えていない中野栄ですみません…
ついでに、多賀城跡は東北本線の国府多賀城駅の方が近く、仙石線を使う観光客は、塩竈神社の近くの本塩釜か、松島海岸まで素通りしてしまうようです。
何もない駅で途中下車…わたしのお薦めは、多賀城の一つ先の「下馬」駅。
「しもうま」ではなく「げば」です…☆
塩竈市と多賀城市の境に跨っています。辺りは住宅地なのですが、私は好きです…☆
- 2015/10/08(木) 22:01:47 |
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- Michiru #-
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> こんばんは☆
>
> わーい。
> 多賀城だ、多賀城だ…うれしいな☆
> 色々ありましたけれど、宮城県、がんばっております☆
>
> 栄えていない中野栄ですみません…
> ついでに、多賀城跡は東北本線の国府多賀城駅の方が近く、仙石線を使う観光客は、塩竈神社の近くの本塩釜か、松島海岸まで素通りしてしまうようです。
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> 何もない駅で途中下車…わたしのお薦めは、多賀城の一つ先の「下馬」駅。
> 「しもうま」ではなく「げば」です…☆
> 塩竈市と多賀城市の境に跨っています。辺りは住宅地なのですが、私は好きです…☆
こんばんは。
中野栄には三井アウトレットパークがあるので、
意外と近隣は栄えているようですね(モニュメント的には栄えていませんでしたがw)
国府多賀城駅は最近開業したばかりの駅なので、
このモニュメント設置時はまだ多賀城観光の拠点はこの駅だったのでしょうね。
ちなみに私は高架になる前の多賀城にも降り立っていますが、
すでに駅前ロータリーは現在のような状況だったので、
ここのところはあまり以前から変化がないのでしょうかね。
ちなみに下馬駅はまだ降り立ったことは無いです。
塩釜-西塩釜を歩いて乗り換えたことはあるんですけどね(笑)
- 2015/10/08(木) 22:11:17 |
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- カタばみ #-
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