今回は山口県山口市にある、JR新山口駅前のモニュメントを紹介します。山口市内では一番大きな駅ですが、ここは以前は小郡町の小郡駅であり、本来の山口市の中心部は山口線山口駅周辺になります。今でも”山口”というよりも”小郡”の方がしっくり来る人も多いのではないでしょうか?

まずは南口(新幹線口)にある「未来」というタイトルの石造時計台です。真ん中の時計台の柱と、ベンチ横の小さい柱が石でできており、小さい柱の上には石の球体が乗っかっています。これは山口中央ライオンズクラブによって寄贈されたものであり、デザインは(有)福井環境設計事務所の福井敏彦氏、製作は
石川石材工業(株)であり、どちらも地元の会社となっています。

次はD51形797号機の動輪です。モニュメント下の銘板によれば、これは新幹線開通記念として設置されたもののようです。D51形蒸気機関車の動輪は
直江津駅や
豊栄駅にもありましたが、どちらも左右1組1軸の動輪が設置されていました。一方でここの動輪は、片側の車輪が4つという珍しい形になっています。確かにD51形はD型SL、つまり動輪が4軸ある蒸気機関車なので、このようにモニュメントを設置すればそのことがよくわかりますね。

次は明治~昭和の時代に活躍した防府出身の俳人・種田山頭火のブロンズ像です。種田山頭火は五七五の定型に縛られない自由律俳句の俳人として有名で、「昭和の芭蕉」などと呼ばれていた人物です。山頭火は晩年に一時この小郡に住み、家である「其中庵(ごちゅうあん)」で「其中日記」を書いたそうな。ちなみに説明によれば像の下の句は「まったく雲がない笠をぬぎ」という、旅の道中で一休みした際に詠んだ句の直筆を復元しているようです。

次からは北口(在来線口)のモニュメントになりますが、引き続き種田山頭火関連のもの。北口には大きな徳利のモニュメントが設置されており、小郡が「其中庵」のあった場所であることをPRしています。ちなみに山頭火は酒好きだったということなので、このモニュメントなんでしょうね。なお、モニュメントの柱の部分には、「またふるさとにかえりそばの花」という句が書かれています。

徳利モニュメントのすぐ近くには、白い裸婦像が設置されていました。製作者は日展会員の彫刻家であり、東京都港区虎ノ門にある俊朝寺の住職でもあった佛子泰夫氏とのこと。タイトルは一応記述があったのですが、達筆で読めない(泣)。多分「吹真」ではないかと思いますが、一文字目は違う文字かもしれません(というよりも、「吹真」という言葉が無いので自信がない)。私が訪問したときはまだそこそこ明るかったのですが、近くにライトが設置されているので、もっと暗くなったらこの像がライトアップされるのかもしれませんね。もしそうなら白い像なので暗い中では結構目立ちそうです。

最後は・・・石碑があったから撮ったのですが、木です。何の木かというと、「おごおり桜(オゴオリサクラ)」という山口市指定天然記念物に指定されている桜で、花の花弁が15枚もあるそうです。訪問時は夏なので当然花は咲いておらず・・・。というか、結構暗くなっていたので画像もブレちゃいました。、いくら夏場は明るい時間が長いとはいえ、流石に19時ちょっと前では、古いコンデジではもうこうなっちゃいますね・・・
(2017年1月21日 追記)
北口にあったモニュメントですが、再開発により撤去されてしまったようです。一番の名物であった徳利のモニュメントも、移設の要望はあったようですが、老朽化が進んでいたため完全撤去になってしまったようです。残念・・・。
スポンサーサイト
- 2015/11/03(火) 18:00:00|
- 駅前モニュメント
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0