
九州の途中で寄り道。岐阜県の大垣を起点とする、樽見鉄道に乗ってきました、この路線はもともと国鉄樽見線だったのですが当時は樽見まで開通しておらず、第三セクターへ移管された後に樽見まで開通したという面白い歴史を持つ路線です。

そんな樽見鉄道で最初に降り立ったのは、瑞穂市の十九条駅。無人駅ですが、駅には名物・名所の観光案内が掲示されていました。

ここからが本題。ここの駅前は道路が2又に分岐するようになっているのですが、そこの三角地には「平光友三郎君碑」という古めかしい石碑が設置されています。裏面の説明に平光氏の経歴が記載されていたのですが・・・あぁ、漢文だ・・・。なんとなく読める範囲で理解できたことをまとめると、平光氏は明治時代に岐阜県警の巡査部長に就いていた方だったのですが、夜警中に夜盗と格闘し、そのまま殉職してしまったようです。その後この石碑は1914年(大正3年)に設置されたようで、100年以上この場所でこの件を後世に伝え続けているようです。ちなみに樽見線の十九条駅開業が1956年(昭和31年)なので、鉄道開通よりも40年も前からここに石碑があったことになり、駅前に設置されたというよりも、石碑があるところに駅が出来たということになりますかね。

もう一つ。三角地には上の石碑よりも小さいのですが、道案内の石標設置されていました。これも石製でかなり劣化が激しいので、同時期に設置されたものでしょうか。書かれている地名は美江寺、北方、赤坂など今でも名前が残っているので、現役と言われれば現役でしょうかね。

おまけ。駅前の農家には柿の木があり、実がついていました。これが駅の観光案内に記載されていた富有柿ですかね。この時期の柿は熟れてきているのか、真っ赤になっています。柿は甘柿も渋柿も熟れてきたころが一番甘いと言われていますが、そのせいかここの柿もだいぶ鳥に食べられていました(笑)
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- 2017/01/24(火) 18:00:00|
- 駅前モニュメント
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> こんばんは。
>
> 無人駅に名物・名所の観光案内が掲示されている
> 駅は温かみを感じますね
>
> 道案内の石標設置 趣きがありますね
> 由緒ある場所かなと思いました ^^
こんばんは。
樽見鉄道はどんなに小さな無人駅でも、
観光案内が全駅にしっかりと設置されています。
市民駅長など、地域密着の企画を結構執り行っているようです。
石標・石碑については鉄道が通る遥か昔からあったようなので、
ここはもともと交通の要所だったのかもしれませんね。
- 2017/01/26(木) 23:10:03 |
- URL |
- カタばみ #-
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だいぶ前の記事にコメント致します。
平光友三郎さんの名前を検索すると、殉職英霊録という書物がヒットします。
殉職した岐阜県の人達のお話が収録されていますが、これによると、石碑は平光巡査部長の御遺体が発見された「文治ヶ池」のそばに建てられたのだそうです。
私は瑞穂市出身なのですが、石碑の近くに池があった記憶はありません。また「文治ヶ池」という言葉を検索しても出てきません。
相当昔になくなった池なのでしょうね。
昔の文献から今はなき当時の状況が思い浮かぶのは、さみしいような気持ちです。
- 2020/08/31(月) 11:19:46 |
- URL |
- Yuki T #-
- [ 編集 ]
> だいぶ前の記事にコメント致します。
>
> 平光友三郎さんの名前を検索すると、殉職英霊録という書物がヒットします。
> 殉職した岐阜県の人達のお話が収録されていますが、これによると、石碑は平光巡査部長の御遺体が発見された「文治ヶ池」のそばに建てられたのだそうです。
> 私は瑞穂市出身なのですが、石碑の近くに池があった記憶はありません。また「文治ヶ池」という言葉を検索しても出てきません。
> 相当昔になくなった池なのでしょうね。
>
> 昔の文献から今はなき当時の状況が思い浮かぶのは、さみしいような気持ちです。
こんばんは。貴重なコメントいただきましてありがとうございます。
瑞穂市出身でいらっしゃるとのことですが、この辺りは東海道線の車窓からため池が結構見えたように覚えています。
ずいぶん昔の事件だったので、その池も昔存在したため池で、用途がなくなり埋め立てられてしまったのかもしれませんね。
- 2020/08/31(月) 23:12:26 |
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- カタばみ #-
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