今回は九州から。鹿児島県薩摩川内市の中心である、JR鹿児島本線、九州新幹線、肥薩おれんじ鉄道の川内駅前のモニュメントを紹介します。

先に紹介するのは西口ロータリーのものから。ここには「川内駅」と彫られた石製の駅名標と、風力発電みたいなものが設置されています。確かに薩摩川内市には風力発電所があるのですが、、これがあくまでもそれをPRするためのモニュメントなのか、それとも近くの電灯などへ電力を供給する小型風力発電なのかは、正直わかりませんでした。まぁ、海沿いのように風が強くはなさそうなので、モニュメントでしょうかね。

次はミニチュアの橋ですが、これはかつて駅の近くにあった川内橋という橋のレプリカで、橋柱の部分は実際に使用されていたものを使用しているようです。説明によれば、この駅の南側を流れる平佐川はもともと北側にある春田川に接続しており、駅前通りと交差するところに石製の橋がかけられていたようです。現在は平佐川は同じく南側を流れる隈之城川に流れるよう経路変更されたため、橋も撤去されたようですが、冷水町の旧鹿児島県川内土木事務所跡の造成工事中に橋柱が出てきたことから、九州新幹線開業時にここにそれを利用してモニュメントを設置したようです。

次は能「鳥追舟」の里であることをPRする銅像です。画像では分かりにくいですが、右側の男性の顔には、能で使用される面が付いています。タイトルのところには「未来へ語る歴史像」と書かれていますが、これはシリーズモノであり、薩摩川内市内にいくつか設置されているようです。ちなみに「鳥追舟」は、説明によれば室町時代に金剛弥五郎が、川内に伝わる「日暮長者伝説」を元に作ったと言われているようです。登場人物として日暮殿と書かれていますが、駅の近くには日暮橋という橋があったりします。

次も「未来へ語る歴史像」の一つで、大伴家持の銅像です。大伴家持は父の大伴旅人とともに歌人として有名ですが、この地には薩摩守に任命されてやってきたようです。そしてこの銅像は薩摩国府のシンボルとして設置された・・・と書かれているものの、一説によるとこの薩摩守就任は、藤原仲麻呂暗殺計画に関与したことが関係して左遷されたからとかなんとか。大昔のことなので事実は分かりませんが、左遷と聞くとどうもマイナスイメージが・・・

ここからは小粒なもの。まずは”薩摩川内”と書かれた時計塔ですが、説明によればこれは太陽電池式時計塔とのこと。寄贈者は京セラとのことですが、京セラは川内に工場があり、サッカー部が結構知名度があったりしますね。

次は・・・正直よく分からない石柱です。風力発電モニュメントと太陽電池式時計塔の間に設置されています。イルミネーションの的にされてしまっていますが・・・まさか風力発電と太陽光発電で点灯しているのか(んなわけねーだろ)。

次はこの地に伝わる妖怪「ガラッパ」の像が上にあるポストです。え、河童じゃないのかって?いえいえ、ガラッパが正式名称です。と言っても基本的には河童と外見は似ており、一説には河童が訛ってガラッパになったとかならなかったとか、諸説があるようです。川内においては近くの川内川に住んでいて、田植えを手伝ったなどの話が伝わっているようです。ちなみに河童のポストは、岩手県遠野市の
遠野駅前にありましたね。

最後はなんだか締まらない気もするが、東口に一つあったものを。こちら側にも駅名標の石碑が設置されていました。こちらには「交流躍動都市へ」という記述がありましたが、それによると東口は九州新幹線開業共に整備されたようで、これは事実上の竣工記念碑みたいな位置づけのようですね。
沢山ありましたが、結構小粒なものが多くある駅前ですな。でも歴史のある街だということが、これだけでもよ~くわかりますね。
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- 2017/01/31(火) 18:00:00|
- 駅前モニュメント
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