もういっちょ長野県から。と言っても長電ではなく、夏に訪問した南信からですが。今回は飯田市にあるJR飯田線川路駅前のモニュメントを紹介します。

この駅は無人駅ですが、駅前には大きなロータリー・広場が整備されています。一つ目はその駅舎よりのところに設置されている「天竜川上流部 川路・龍江・竜丘地区治水対策事業 完成記念」と書かれた石碑です。裏面には「新生の大地 いま歩み出す新しい歴史」と書かれています。飯田線のこの辺りは天竜川に沿って線路が敷設されているのですが、龍江というのは対岸の地区の名前になります。この石碑がある理由としては、「三六災(昭和36年梅雨前線豪雨)」の治水対策によって飯田線の線路が付け替えられ、駅が2001年(平成13年)にここへ移設されたことが挙げられます。ちなみに治水対策のきっかけとなったのは、ここよりも下流にある泰阜村の泰阜ダムであり、水力発電ダム完成以降水害が多発しており、「三六災」で大きな被害に見舞われたことのようです。

こちらは比較的道路よりにある石碑。「川流不息乾坤清泰」と刻まれています。裏面には説明がありましたが、それによればこの石碑も先ほどのものと同様に、治水対策の功績を称え、後世継承をしていくために設置されているもののようです。「平成十五年三月吉日」とあるので、これは駅移転から2年経ったころに設置されたもののようです。表面が漢字だけなので、もう少し古いかと思っていました。

次も道路よりのところにある、「時によりすぐれば民のなげきなり 八大龍王雨やめたまへ」という、鎌倉幕府第3代征夷大将軍・源実朝の歌碑です。源実朝は将軍職に加え、歌人としても有名であり、百人一首にも歌が選ばれています。歌碑の隣には説明の石碑がありましたが、それによればこの歌碑も水害に関するものとのこと。しかしこれは先述の2つの石碑とは異なり、1980年(昭和55年)に移転前の川路駅前に設置されたものであり、駅移転と共にここへ移設されたものとのこと。こちらも水害を後世に伝えるべく、わざわざ移設を行ったのでしょうね。
今でこそ環境影響評価が法制化されましたが、ダム建設当時はそのような概念が無かったというのも、水害発生の大きな要因だったのでしょう。この石碑群はそんなことを物語っているようにも思えます。
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- 2017/11/07(火) 18:00:00|
- 駅前モニュメント
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