今回も長岡市内から。今回は今年に訪問したところです。紹介するのはJR信越本線来迎寺駅前のモニュメントです。「来迎寺」と書いて”らいこうじ”と読みます(”らいげいじ”ではありません)。利用者が周りの駅よりも少し多いからか、かつて走っていた寝台急行「きたぐに」の停車駅となっていました。

まずは駅舎の前に設置されている「駅舎改築記念碑」です。表面の題字を書いたのは当時の新潟鉄道管理局長の谷口昇氏で、裏面には近隣の関係者や歴代駅長などの名前が記載されています。ちなみに表面ののタイトルの右側に小さく「来迎寺駅開業八十周年」と書かれているのですが、実は来迎寺駅の開業は1898年(明治31年)、駅舎の改築は1979年(昭和54年)なので、八十一周年だったりします・・・

次は駅前広場の向かい側にある、「柳観音堂」という観音様のお堂です。お花がガラスケースで囲われていますが、地元の方々にしっかり維持管理されているらしく、私の訪問時にも手入れをされている方がいらっしゃしました。観音堂の祠に説明が気のようなものがありましたが・・・古文・・・文が書かれたのが昭和十一年なのに・・・。古文はあまり得意ではないのでなんとなくで読んでみましたが、どうやらお堂の観音様は、三島郡島崎村(現・長岡市島崎、越後線小島谷駅付近)にある妙徳寺の某甲和尚が夢のお告げで”来迎寺駅へ行きなさい”と言われ、霊像を持ってきたのが始まりというようなことが書かれているようです。・・・うん、自信がないので古文得意な方、解説お願いします(笑)
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- 2017/12/10(日) 15:00:00|
- 駅前モニュメント
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こんばんは☆
一つ前の記事へのコメントですみません…
来迎寺といえば、かつて西小千谷とを結ぶ魚沼線が分岐していて、宮脇俊三さんの「時刻表二万キロ」でそのくだりを読んだ事があります。
ただ、わたしは来迎寺や魚沼線より、その後の徒歩で上越線の小千谷駅へ脱出し、通過追抜きする「はくたか」「とき」を見送りながら清水トンネルを越え、新前橋で最終普通列車を乗り継いで、深夜の渋谷駅にたどり着く部分のほうが印象に残っていますね。
来迎寺駅さん、ごめんなさい…☆
- 2017/12/12(火) 21:07:14 |
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- Michiru #-
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> こんばんは☆
> 一つ前の記事へのコメントですみません…
>
> 来迎寺といえば、かつて西小千谷とを結ぶ魚沼線が分岐していて、宮脇俊三さんの「時刻表二万キロ」でそのくだりを読んだ事があります。
> ただ、わたしは来迎寺や魚沼線より、その後の徒歩で上越線の小千谷駅へ脱出し、通過追抜きする「はくたか」「とき」を見送りながら清水トンネルを越え、新前橋で最終普通列車を乗り継いで、深夜の渋谷駅にたどり着く部分のほうが印象に残っていますね。
>
> 来迎寺駅さん、ごめんなさい…☆
こんばんは。
魚沼線の存在は知りませんでした。
もともと軽便鉄道だった路線のようですが、
西小千谷駅というところまで伸びていて、
小千谷駅まで接続していなかったというのは、
同じ国鉄ということも考えると中途半端だなぁと思ってしまいます。
同じように徒歩で乗り継げるところといえば、
函館本線の滝川駅と札沼線の新十津川駅がありますが、
こちらは札沼線がもともと石狩沼田までの路線だったという点で、
西小千谷-小千谷の関係とはちょっと異なりますかね。
- 2017/12/12(火) 22:02:53 |
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- カタばみ #-
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