ちょいと房総半島へ行ってきました。年内の記事は全部その類のもので書いていこうと思います。
訪問理由の一つとして、「いすみ鉄道に乗ってみたい」というのがありました。いすみ鉄道は大原駅から上総中野駅までを結ぶ国鉄木原線を第三セクターへ移管した路線です。近年は業績悪化により社長を公募したり、運転士の志願者を集めたり、「い鉄揚げ」を販売したりと、何かと話題になる会社です。鉄道路線自体がランドマークになっている一例と捉えられるでしょう。今日はそんないすみ鉄道の車両を全形式撮影することができたので、ご紹介します。

まずは「いすみ200'型」です。この車両はいすみ鉄道が国鉄から移管されたと同時に導入された形式です。しかし当初は100型を名乗っており、200型を経て200'型と形式変更してきました。この形式は「LE-Car II」という、「レールバス」の類に属しているものの初期型になります。7両が導入されましたが老朽化には勝てず、3両が既に引退しており、残りの車両も近々新型車両に置き換えられる予定です。ちなみに引退した車両のうち1両は、沿線から程近い農産物直売場「ポッポの丘」で使用されており、残りの2両もミャンマー国鉄へ譲渡されたみたいです。

続いては「いすみ300形」です。老朽化したいすみ200'型を置き換えるべく製造された形式です。この形式の導入については社長がブログで漏らしてしまったことで少し話題になりましたね。製造は新潟トランシスであり、同社の汎用軽快気動車NDCの一種です。車内はロングシートのいすみ200'型とは異なり、セミクロスシートを採用しています。現在は2両導入されていますが、もう1両導入の予定があるようです。

次はJR西日本から譲渡されたキハ52形です。もともとはJR大糸線の非電化区間(南小谷~糸魚川)で使用されていた車両ですが、キハ120形への置き換えの際に「まだ5年くらいは使える」ということで、いすみ鉄道にやってきました。譲渡された車両はキハ52-125で、大糸線末期は紺色と黄土色のツートンカラーを纏っていましたが、譲渡後に朱色とクリーム色のツートンカラーへと塗り替えられました。現在は休日運転の観光急行列車(「そと房」のヘッドマークをつけていることが多いです)に充当されています。ちなみに3枚目の画像は、同じく大糸線で活躍していたキハ52-115です。キハ52-125の画像が無かった(紙焼写真しかなかった)ので、かわりにこちらをアップします。こちらの車両は大糸線末期に、いすみ鉄道へ譲渡された後の塗装と同じ朱色とクリーム色のツートンカラーを纏っていました。現在は岡山県の津山で保存されているようです。

次も同じくJR西日本から譲渡されたキハ28-2346です。こちらは氷見線・城端線・高山本線(富山~猪谷)で使用されていた車両で、もともとは高岡色というオリジナル塗装を纏っていましたが、いすみ鉄道入線に際して国鉄時代の塗装へと戻されました。まだ営業運転には就いていませんが、キハ52と連結して運転される予定であり、これから活躍が期待されます。ちなみに3枚目の画像は、松任工場に留置されていたときのキハ28-2346です。といってもクーラーしか映っていません(高岡色のパラミックウィンドウキハ58の後ろにいます)。
そして次は・・・

チラッ (・∀|;;;;;;;;
はい。新型のいすみ350形です。これを見て「え?新型?キハ52じゃないの?」と思う人がいるかもしれませんが、新型です。これも社長のブログで取り上げられていますが、新潟トランシスにお願いして国鉄型気動車っぽく作ってもらったそうです。見た目を極力似せただけで、基本的にはいすみ300形同様NDCの構造になっているようです(写っていない側面を見るとよくわかります)。こちらはいすみ200'型と同じく車内はロングシートになっているようです。この車両は撮影日の2日前にこの大多喜の車庫に入線したようです。計画ではもう1両製造される予定で、こちらも活躍が楽しみです。ちなみに私は検修庫のシャッターが開いていることなど知らず、駅の外に出てしまったため、気づいた時にこの1枚を撮影したのですが、いざホームに戻ってみたらシャッターが閉まっていたの前面を完全に写すことができませんでした。残念。

そして最後は大多喜駅の脇にいたアントです。なにやら貨車を連結していました。いすみ200'型同様年季が入っていますね。
年末年始、どこも行くところが無いぞ~という方。いすみ鉄道に乗車し、懐かしい車両での旅を満喫してはいかがでしょうか?
※おまけ

いすみ鉄道沿線にある自動販売機です。キハ52-125やいすみ200'型を模したデザインになっているのが面白いです。
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- 2012/12/25(火) 23:04:49|
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