前回に続き、宇奈月から。今回は黒部峡谷鉄道宇奈月駅前のモニュメントを紹介します。富山地鉄の宇奈月温泉駅とは150mくらい離れており、
東武日光駅と
JR日光駅と似たような位置関係になっています。

まずは駅舎の横にあるトロッコ列車のミニチュア模型です。黒部峡谷鉄道といえば鉄橋を渡っているシーンを思い浮かべる人も多いと思いますが、その後継を再現しています。機関車はED型ED21号機を再現しているようですね。ちなみにミニチュアがあるなら、
新黒部駅前のように実物を・・・

・・・あるんですけどね(笑)。駅の南東の丘に「トロッコ広場」という広場が整備されており、そこに記念撮影用の顔出しパネルと、ED凸形電気機関車のED11号機+ハ形客車ハフ10号が静態保存されています。この機関車は1934年(昭和9年)から2013年(平成25年)まで80年近く使用されてきた機関車であり、黒部ダム建設の一翼を担ってきました。なお、現在も同じ形の機関車が現役で使用されており、入換作業や貨物輸送で使用されているようです。

次は駅前の黒部川電気記念館の脇に設置されている、「嵯峨連山一刀で断つ月の瀧」という句碑です。詠み人は松田郷人という人らしいのですが、どうやら富山県在住の俳人のようですね。松田氏は「黒部川」という俳句の雑誌を発行している人物であり、この句もその雑誌に掲載したものではないかと思います。でも嵯峨連山ってどこなんでしょう。京都の嵯峨野・・・だとしたら富山県は関係ないはず・・・

次も黒部川電気記念館の角(駅舎の向かいの位置)にある「陽光」という銅像です。男性が上半身裸で日光浴をしている・・・ものと思われるのですが、周りの円形のモノは何?日光というよりも、スポットライトを浴びているようにも見えます。ちなみに作者はかつて金沢学院大学の教授を勤めていらした、彫刻家の故・川岸要吉氏とのこと。

次は上の銅像の隣にある、アントのような機関車です。これは黒部峡谷鉄道の全身である日本電力の黒部専用鉄道で使用されていた、EB5号型機関車のようです。登場は1926年(大正15年)の宇奈月-猫又開業の時であり、1984年(昭和59年)まで使用されていたようです。当時は集電用のポールは手動操作だったみたいですね。製造はアメリカのジェフリー社ということで、見た目も日本ではあまり見られないようなデザインです。

次は記念館の東にある、「独楽荘」と書かれた大きな石碑です。説明によれば、これは当時の日本電力の初代社長だった山岡順太郎氏の電源開発における偉業を称えるために、山岡氏の別荘に山岡氏を尊敬する人たちが設置したものとのこと。その後この庭園に移設されたことで、庭園を「独楽園」と呼ぶようになったようです(あ、「失楽園」が頭に浮かんだ人、私だけじゃないでしょ)

そんな独楽園には、鹿の銅像が一つ設置されています。タイトルは「森のそよぎ」であり、寄贈者は竹中製作所という会社のようです。この銅像、庭園側ではなく道路側を向いているのですが、なぜなんでしょう?宇奈月温泉駅の前にいたライオン像のタイトルが「森の王者」だったので、それと何か関係があるのでしょうか?

最後は記念館と「独楽荘」の石碑の間に設置されている山岡・・・ではなく、山田胖という人物の胸像です。この人物は黒部鉄道の役員に就任して、発電所建設のための旅客貨物輸送のために、三日市駅(現・
あいの風とやま鉄道黒部駅から宇奈月駅までの路線敷設や、黒薙温泉からの引湯管設置による温泉街形成の礎を築くなどの功績を上げた人物のようです。この人物がいなければ宇奈月温泉や黒部ダムどころか、今の富山地鉄本線の電鉄黒部以南も実現しなかった・・・と言ってみると、やはり凄い人物だったことがわかりますね。
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- 2018/06/05(火) 18:00:00|
- 駅前モニュメント
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