
まだまだ夏が続く・・・ということで今回は避暑地から。長野県北佐久郡軽井沢町にある、JR北陸新幹線・しなの鉄道軽井沢駅前のモニュメントを紹介します。まずは観光地によくある「歓迎」のモニュメントですが、ここのものは時計台と一体化したものになっています。

紹介するモニュメントはすべて北口にあります。まずは駅のすぐ横に設置されている、「碓日嶺鐵道碑」という古そうな石碑です。設置年月日と思われる日付を見ると、「明治廿六年四月」とありますので、1893年・・・125年前に設置されたものということがわかります。この年に設置された理由はこの本文に関係するのですが、丁度その時に”難所”と呼ばれた群馬・長野の県境を越える碓氷峠にアプト式(歯形に機関車の歯車をかみ合わせて勾配を上り下りする仕組み)のレールが敷設されて馬車鉄道から切り替わったタイミングがまさに1893年(明治26年)の4月なのです。それゆえこの石碑は、難所越えの工事が大変だったことを示すこと、工事に携わった方々を称えることを目的に設置されたものと思われます。ちなみに裏には関東大震災の頃にこの石碑が埋まってしまったものの、当初の石刷が保存されていたことで再建立することができた旨の記述がありました。

次はうえの石碑の右手にある”(旧)軽井沢駅舎記念館”のちょっと薄暗い庭に静態保存されている、草軽電鉄デキ12形機関車デキ13号機です。
黒部峡谷鉄道宇奈月駅のところにあった機関車と同じくらいの大きさですが、この機関車もそれと同じナローゲージ(762mm幅)の線路を走るサイズです。草軽電鉄はこの軽井沢駅隣接の新軽井沢駅から、北軽井沢、嬬恋を経て草津温泉駅までを結んでいた軽便鉄道です。国鉄吾妻線が開通するまでの草津温泉への観光客輸送や農産物・鉱石輸送を担っていたようですが、吾妻線開業後に利用客が激減したため廃線となりました。今では廃線跡も多くが整備されてしまたようなので、この機関車は草軽電鉄があったことを後世に伝える数少ない文化財と言えるでしょう。

次はステンレスのリングの間に、煉瓦の壁の一部があります。説明によればこれは「軽井沢駅構内煉瓦サイロの碑」という名前とのこと。碓氷峠やその周辺には煉瓦積みの橋や車庫があったりしましたが、このモニュメントはこの軽井沢駅にあったアプト式蒸気機関車の給水塔に使用されていた物を加工して作られているようです。説明に給水塔の絵が描かれていますが、長崎県の
早岐駅にある煉瓦積みの給水塔とあまり変わらない外観だったようですね。


次はモニュメントというよりも、階段下の壁画なのですが、橋上駅舎のペデストリアンデッキから地上に降りる階段の東西に、それぞれ異なる壁画などがあります。東側の階段下は「もみじの広場」として、市の特徴が英語で書かれたものや軽井沢町民憲章があります。もう一方の西側の階段下は「おおやまざくらの広場」として、観光スポットの写真がプリントされて壁画になっています。ちなみのこの場所は観光客が座っていることが多く、なかなか人が映らないように撮影するのはちょっと難しかったです。実際に「おおやまざくらの広場」は全景を撮影できませんでしたからねぇ。
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- 2018/08/07(火) 18:00:00|
- 駅前モニュメント
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